徒然草の一節

2014年01月14日

大学入試によく徒然草が使われる。

しかし、こんな一節があったのをご記憶の方が居られようか?
徒然草第39段のはなしである。

「ある人、法然上人に、『念仏の時、睡(ねぶり)におかされて行(ぎょう)を怠り侍(はべ)ること、
いかがしてこの障(さわ)りを止め侍らん』と申しければ、
『目の醒めたらんほど、念仏し給へ』と答へられたりける、いと尊かりけり」 

分かり易く言うと、念仏の最中、どうしても睡魔に襲われる。そんな時どうしたらよいでしょうか?とある人が法然上人に問うた。
すると、法然上人は、「目が覚めた時、念仏すればいい・・・」、と答えられた。 

何も、腿をつねったりして睡魔と格闘する必要はない。
眠くなったら眠り、目が覚めたらまた一生懸命念仏をすればいい、と言うのだ。
何事も自然体でいいではないかと諭している。

法然上人は浄土宗の開祖である。

その上人が次のようにも言われている。

「 念仏をするのに、こうでなくてはいけないといった決まりなんてないのだ。
結婚をした方が念仏を称えやすいのであれば結婚をすればいい。
家に居ても良いし、流浪しても良い。他人の援助を受けても良いし、自分の独力で生きても良い。
大勢の仲間と一緒の方が念仏を称えやすければ大勢でやれば良い。一人の方が良ければ一人でおやりなさい。」

法然上人は 非常におおらかな考えであり、こだわりがない。