横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

9月16日から2泊で、高野山に詣ってきた。

弘法大師の修行場として開いた高野山に一度は行って見たいと思いつつ、ついぞ行く機会が無かった。
そんな折、娘がプレゼントとして、高野山行きをアレンジしてくれた。

横浜からのぞみで新大阪まで行き、食い倒れの難波でお好み焼き、たこ焼き、焼きそばセットで昼食とした。
この旅は家内と娘二人の四人旅。
難波から南海電車で高野山まで行く。終点は極楽橋駅。
そこから、高野山駅までは急傾斜のケーブルカー。

高野山駅から真言宗本山の金剛峯寺まではバスで10分程度。

行く前の私は、比叡山の延暦寺のように鬱蒼とした山の中にあると思っていた。
ところが、高野山は切り開かれた山の町であった。
聞いてみると、高野山とは、単独の山ではなく、7つか8つの山に囲まれた山の盆地を言うのだそうだ。

初日は総持院の宿坊に泊まる。宿坊といっても食事はとても立派で美味しい。食べきれないほど出てきた。温泉ではないが、心地よい風呂であった。

夜8時から恵光院の夜のツアーに参加。これは夜の奥の院にお参りに行くツアー。驚いたことに、このツアーは日本人の数の2倍は外国人。

翌朝は朝6時から勤行(ごんぎょう)で、約1時間。朝食を摂って、昼のツアー。ツアーガイドは昨夜の恵光院の若い坊さん。
この坊さんから、真言宗や弘法大師の話をたっぷり聞いた。
私が最も聞きたかったことは、仏教とは、とりわけ、真言宗は、死んで、極楽往生するために修行するのか?ということ。
この質問に坊さんは明快に答えてくれた。
今をよりよく生き抜くための宗教です、と。
よって、仏教の中では良く言う“極楽往生”という言葉は、高野山ではほとんど聞かなかった。

ツアーは3時過ぎに終わり、一乗院に入る。
このお寺は素晴らしいものであった。それこそ、極楽浄土の気分であった。

このように、高野山のことを語ると、長くなるので、これ以降は別のページで書くことにする。

翌日、高野山を発ったのは朝の11時。大阪に出て、梅田で昼食。そして、京都に移動する。

そして、この晩、不思議な夢を見たのだ。

田舎から、私の兄姉が横浜に来ることになり、彼らに会いに行くと、すれ違いで会えない。
そんな時、河口さん(私の義理の兄)が啓一兄(長兄、今年7月に死亡)に電話をする。
すると、受話器から啓一兄の元気な声がハッキリと聞こえてきた。
「久夫(亡くなった四兄)か?」
河口さんは返事をせず。
すると、
「栄次(私)か? 博多では悪かったな・・・」

私はこの瞬間目を覚ました。
なぜ、啓一兄が夢に出てきて、はっきりした言葉で言ってきたのか?
「博多では悪かった」とは、一体何のことなのか?

私は、この夢は“高野山詣で効果”と理解している。
また、高野山から降りて来て、頭に残っていた懸案事項が2件gz不思議にも解決した。