マホメットにこんな伝説がある。
彼は、山を動かすという奇跡をやってみせると公言した。
その奇跡を見んものと、大勢の人が彼の指定した時間に、その場にやって来た。
大勢の見物人を前に、いよいよマホメットが奇跡を演ずる。
彼は遠くの山に向かって、
「おーい、山よ。こっちに来い!」
と叫んだ。
けれども、山は動かない。
しかし、マホメットは再度山に向かって叫ぶ。
「おーい、山よ。こっちに来い!」
しかし、山は動かず。人々は失望し始めた。
三度目、マホメットは同じ文句で、山に向かって呼びかけた。
当然のことながら、山は動かない。
すると、マホメットは人々に言った。
「諸君、ご覧のとおり、私は山に向かって三度も呼びかけた。しかし、山は動かぬ。となれば、この上は、私が山に向かって歩いて行くよりほかはない。」
かくて、マホメットは山に向かってスタスタと歩み始めた。
ここに集まった人々は、「マホメットはいい加減なやつだ」と言って呆れたのだろうか?
この話の中には、重要なポイントが欠落していると思う。
多分、山を動かすというよりも、山を自分に近づけると言ったのではなかろうか?
禅の言葉に、
「橋は流れて水は流れず(橋流水不流)」がある。
我々の常識的な世界では橋が流れるわけはない。水が流れるのみ。
しかし、見ている自分の位置を水の側から見れば、橋が流れているのである。
禅は、常識的な見方にこだわることを嫌い、自由に座標軸を変えてみることを教えている。
世の中には嫌いな人がいる。あいつは俺に打ち解けて来ないと思っているのだが、自分の方から彼に接近していけばいいのだ。
そうすれば、そこに奇跡が起きるのだ。