江戸時代中期に 至道無難(しどうぶなん)という禅僧がいた。
中山道の宿場町である関ヶ原の宿屋の主人であったが、53歳になって出家をした。
或る日、この無難は庄屋の家を訪ねて主人と話をしていた。
丁度そこに別の商家からの使いが来て、主人に紙に包んだ金を渡して帰って行った。
それから間もなく無難もそこを辞去した。
主人が金のことを思い出したのはしばらくしてであった。
ところが、どこを探しても金が見つからない。
そこで、主人は無難の所に行き、
「もしや、何かの間違いで、お持ち帰りになられたのでは・・・」 と尋ねた。
無難は何も言わずに、それだけの金をだして主人に渡した。
数日後、思いがけぬ所から金が出てきた。
主人は、すぐさま無難の所に行き、丁重に詫びた。
もちろん、無難にはお金を返した。
無難は、
「ああ、そうですか。でてきましたか・・・」
と言って、金を受け取った。別段、怒ることもなく。
そんな無難の生き方に感銘を覚えた鎌倉の金持ちが、一庵を建てて、無難に住まわせた。
無難が その庵に住んで、しばらくすると、その金持ちの娘が妊娠した。
主人が娘に問い詰めると、困った娘は、
「実は、和尚さんが・・・」と嘘をついてしまった。
主人は怒って、無難を庵から追い出してしまった。
後になって、娘は正直に父親に告白した。
主人は、無難を探し出し、ひたすら詫びた 。
しかし、無難は、にっこり笑って、
「ああ、そうですか・・・」
と言っただけ。
そして、主人の請いに応じて、再び元の庵に戻った。
こんな生き方は、そう簡単にできる技ではない。
私だったら 、怒り、絶交を言い渡す。
これではいけないんだと思うが・・・。