イソップ物語の「アリとキリギリス」の話はご存じでしょう。
しかし、原文では、「アリとセミ」であることを知っている人は少ない。
暑い夏を、アリはせっせと働く。
キリギリスは遊び呆ける。
アリはキリギリスに、「しっかり働かなければ、冬になって困るぞ」と、忠告するが キリギリスは馬耳東風。
やがて冬になって、食べ物に困ったキリギリスは、アリの家を訪ねていく。
しかし、 アリは、「ざまあみろ」といって、キリギリスを追い返す。
この物語は、いろいろな見方がある。
1)冬に備えて 、夏の間に働かなければならない。
2)アリの、「ざまあみろ」は絶対に良くない。
最近のパロディに、こんな話がある。
夏の間一生懸命働いたアリをキリギリスが訪ねてみると、
アリは出てこない。
どうしたんだろう?とキリギリスは裏口から入ってみると、
アリは死んでいた。
夏の熱い間、一生懸命働いた せいで、過労死したのだ。
キリギリスは、アリが貯めた食料を食べて、その冬を過ごした。
仏教では「精進」ということを教えている。
我々は、精進と努力を同じ意味でとらえている。
しかし、仏教でいう精進は単なる努力ではない。
ゆったりとした努力である。
すなわち、成果にこだわらない努力のことである。
他人と競争して、他人に勝つための努力は精進とは言えない。
努力することが楽しいから努力する、それが精進なのである。
その意味では、アリの努力は、実は]精進ではなく、評価に値しないのだ。