親父が国鉄を定年退職し、目指すは家づくり。しかし、退職金を使い果たして家を建てたりしても後の生活を考えると、そうもいかない。
そこで、親父は出来るだけ自分達で家を建てようと考えたのだ。結論から言えば、今の家は大工仕事以外は全部家族全員でやったのだ。
始まりは1963年だったと思う。私が中学2年生で、体力的に大人の力がつき始めた頃。また、東京オリンピックの前年。
まずは、杉の木の切り出しから始まった。松獄山の奥に“サスバの山”があり、寝太郎の家から歩いて行けば多分、2時間近くはかかったであろう。だから、家を朝の7時前に出て行く。
初めて登ったサスバの山は私にはとても新鮮であった。両手で抱えきれないほどの杉の木が鬱蒼と茂り、まさに深山に入り込んだ気がした。
参加メンバーは、親父と啓一兄と久夫兄と私。親父と兄二人は交代しながらノコギリと斧で大木を倒す。一本の大木を倒すのにやはり1時間以上がかかったのではないかと思う。私は倒した木の枝を切り落とす役。
労働の後の昼飯はお袋の作ってくれた握り飯。また、清水が実にうまかったことを覚えている。私はとても素晴らしい時を親父と兄貴達と過ごせたことを今では自分の宝にしている。
山の太陽はすぐに落ちて暗くなるので、午後4時には山を降りなければならない。帰りは、二人一組になって太い竹を4〜5本束ねて、山を降りる。これが結構大変なのだ。後で分かるのだがこの竹が壁の骨組みに使われたのだ。
この帰る光景を今でも思い出すが、ディズニーの白雪姫に出てくる七人の小人の行進とよく似ている。歌は歌わないが、気持ちは、「ハイホー、ハイホー」である。
家で待つ白雪姫の所に戻って行くのだ。白雪姫って誰?
もちろん、・・・・・
毎週日曜日、雨が降らず、メンバーが揃えば「ハイホー、ハイホー」の行進が10ヶ月以上続いた。そして、切り出した杉は50本以上。さすがに杉の大木は馬で運んだのだ。