横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

映画俳優を目指した、佐藤文夫は、やはり、成功はしなかった。
若山富三郎からいつのまにか、離れていき今度は別の芸能界に身を置くようになる。

しかし、この時期、親父は東京に文夫君を連れ戻しに行った。
何か問題を起こしたのであろう。

そして、しばらく下関でわれっ我と一緒に生活をしていた。
仕事は”トクミ”という運送会社だったと思う。
しかし、文夫君がそんな生活に満足するわけがない。
そこで、再び家出をしたのだ。
今度は、文夫君は会社から金を盗んだようで、その支払いに我が家は苦しむのである。

私は、お袋が泣いている姿をしばしば見かけた。
そして、こう考えたのだ。
我が家にはお金がないのだ、と。

そんな私はこの時期から内面的にずいぶん変わっていった。
学校の給食費が当時は月350円。
この給食袋をもらっても、その給食袋をお袋に見せる事が出来なかった。
すると、督促状が学校から渡されるが、それも、お袋には見せられなかった。
しかし、そのままでは済まない。
学校の先生が家庭訪問して、給食費の話をして、親に初めて分かったのだ。

私のした行為は親には分かっていたので、お袋は私に、
「心配しなくても、給食費くらいは、払えるから、心配いらんよ・・・」、といってくれた。