私は大学に入るまでは、あまり、親父と話すことはなかった。
理由は、私は8人兄姉の8番目ゆえ。
家にいても口数の多い方ではなかった。
私が中学生になった頃は、兄姉は全て大人になっていて、大人の話題にはついて行けなかったことが大きな原因かもしれない。
じゃあ、私が大学生、あるいは、就職して帰省した時はどうか?
やはり、家ではあまり話をする方ではなかった。
その当時は、家の中で話題の牽引車は久夫兄とキヌエ姉だったような気がする。
たまたま、親父は私に向かって、政治問題を投げかけてくることがあった。
それが私は嫌で嫌でしょうがなかった。
所詮、親父とは物の見方が違うことが分かっているし、つい本気で話をすると、口喧嘩になってしまう。
私は、政治を真正面からとらえ、持論を展開するが、親父はすぐに戦争の話を持ち出す。
あるいは、「お前のような生き方では、会社では上手く行かない・・・」とやってくる。
すなわち、親父は、”世渡りの術”を息子に伝授しようとするのだ。
同じ話を、秀夫兄や久夫兄にしていたことを思い出す。
私にとっては”世渡りの術”は糞食らえであった。
私が29歳の年の暮れのことであった。
私は帰省して、親父と話をしていた時、報告のつもりで、
「俺、今度マンションを買うことにした」、と話を持ち出した。
親父は、
「おー、そうか?いくらの物件か?」と聞いてきたので、
私は、「2400万円の物件。」
親父は、2400万円と聞いて、ビックリしたようだった。
そんな話をしていた時、たまたま、久夫兄がやって来た。
そこで、私の話は中断した。
久夫兄は、偶然にも、自分の家建ての話を親父に持ちかけていたのだ。
「900万円で、家は建つことになった」
というと、親父は、
「土地はどうすることになったんだ?」と聞く。
久夫兄は、
「土地は、安部の親父さんがくれることになった」、と言い、話はドンドン弾んでいった。
私は、黙ってそこを立って、外に出た。
親父にはまだまだ、30歳にならない若造が、2400万円のマンションを買うとは?自分は退職後にようやく建てたのに、といった思いがあったのだと思う。
それに比べ、久夫兄の方は土地付きで、900万円、これは可能だと判断したのであろう。
私はこの時、もう二度と親父にはマンションの話は持ち出すまいと決めた。
正月が明けると、私は早々に横浜に帰ることにした。
その時、お袋が私に聞く。
「エッちゃん、マンションの話を父ちゃんに言わなくていいの?父ちゃんは、エッちゃんが頭金をどうすもりか気にしていたよ」、と。
私は、「何も頼むことはないから、心配しなくていいよ」、と答えて別れた。
その後、お袋からは何度か手紙が来て、マンションの話はどうなったかと聞いて来たが、その話は一切話題にもしなかった。
そして、二年後、私はマンションを正式購入して、入居した。
31歳の4月だった。
それから、一年後、私は結婚することになった。
結婚式の前日はみんな、横浜の我が家に泊まった。
宇宙ステーションのような高層マンションが林立していた若葉台に来て、親父達は、さぞかしびっくりしていた。
そして、結婚当日、マンションからマイクロバスでみんなで出て行った。
結婚式後は親父とお袋だけが早く、マンションに帰って来た。
私は親父とマンションのことは何も言わなかったが、頑固な親父の心の声は聞こえて来た。
「栄次よ。済まなかった。あの時は久夫の家のことしか話をせず、お前の話を聞いてやることができなかった。俺は心配していたのだ。お前はどのようにして頭金を払ったのだろうか。月々の支払いは大丈夫だろうか?お前も頑固だなぁ。一言も、俺には言わなかったなぁ。心配したぞ。」
多分、親父とお袋は私のマンションの中で、そんな話をしていただろうと思うと、やはり、涙が出て来てしまう。