下関にいた頃、少しずつ我が家の生活も文化的になり始めた。
テレビは家にあるし、冷蔵庫も氷を入れる方式だがあった。
そんな折、お袋が長門市場で鯨の肉の塊を買って来た。
その日は親父の帰りも日頃より早かった。
子供であったため、私にはその日が何お祝いだったかは記憶にはない。
しかし、座卓(テーブル)にはカレーライスの時に使う皿に鯨の肉が焼かれて出て来た。
そして、日頃見たこともないフォークとナイフが皿の両脇に置いてあった。
そこにいたのは親父とお袋と久夫兄とかずえ兄と私の5人。
親父が徐(おもむろ)に、
「お前たちも将来、必ず、フォークとナイフを使った西洋料理を食べる機会があるだろう。そのための練習として、ビフテキを食べる・・・」と話し始めた。
父:「まず最初に、フォークとナイフは外から取っていく」
私とみんな:「???」
父:「本当は、前菜を食べるフォークとナイフがあるし、スープを飲むスプーンがあるし、デザートを食べるフォークとナイフがあるし、コーヒーを飲むスプーンもついているのだが、今日はない。」
父:「フォークは左手で持ち、ナイフは右手で持ち、音をさせずにビフテキを切る。」
父:「栄次、ガチャガチャ、ナイフを皿に当てるな。」
「ご飯はフォークの曲がった方に乗せて、そのまま口に持っていく。」
私とみんな:「こうやって、食べると、たべづらい。」
父:「これが西洋人の食べ方だからしょうがない。」
父:「それから、食べるときは、静かに食べる。」
かくして、西洋料理の食べ方教室が終わる。
サラダもスープもデザートもないままに。
ところで、ビフテキはビーフステーキの略。
鯨の肉を食べても、やはり、ビフテキと言っていた。
ところで、私が成人になり、仕事で海外に行くことが多くなり、初めて分かったことだが、一般的に、西洋人といっても、色々あり、肉をナイフとフォークで切るが、右手にフォークを持ち変えて食べる人、ライスもフォークですくって食べる人など、食べ方は様々であった。マナーを気にする人はあまりいなかった。
ましてや、フォークを逆さまにし、その上にライスを乗っけて食べる外人は一人もいなかった。
それよりも、みんな会話を楽しみながら、食事していたことが私には最もショックであった。
私は、上流社会の人々と食べた経験がなかったので、多分、親父は、上流社会の食べ方を指導してくれたのであろうと解釈している。