ギアマンの話

江戸時代、ガラスのことをギアマンと呼んでいた。
もともと、ギアマンはオランダ語でダイアモンドのこと。ガラスを意味していなかったのだ。オランダ語でガラスは単にグラスである。
では、ガラスのことをなぜ、ギアマンと呼んでいたのか?
それは、ガラスを切る時にダイアモンドを使っていたせいである。
また、江戸の商人は、やはり、ギアマンという言葉の響きに魅せられたのであろう。
確かに、日本人にとって、ギアマンの響きは、何か違うように思える。
また、日本で有名な江戸切子、薩摩切子などの「キリコ」も、言葉の響きいい。

しかし、私は、ガラス細工の素晴らしさは、何と言っても光との調和だと確信している。
私が、1990年、初めてエジプトに行った時、まさに、それを実感した。
私が訪れたのは、エジプトの政治家であり富豪の家。
今まさに、エジプトは動乱の真っ最中であるが、もし彼がエジプトにいたら、ムバラク大統領と一緒に失脚したであろう。
しかし、不運にも、今から8年位前に、ムバラクと意見が合わずに失脚し、国外追放されたのだ。



その家に招待された時は午後4時ごろ。家はマンション風で、家の中には取り立てて素晴らしいものはない。でも、ところどころに変わったものが置いてあった。
これはなんだと聞くと、ローマの貨幣だと言う。聞いてみると、昔、彼のおじいさんがエジプトに来て、一財産あてたのは、ローマの遺跡を発掘してからだと言う。
だから、どうも価値のありそうなものがさりげなく置いてある。
ふと窓辺を見ると、色鮮やかなガラス細工が夕日を浴びて輝いているのに気が付いた。
あれはなんですか?と尋ねたら、「キリコ」と言う。彼は、そのキリコが大好きだと言う。日本で買って帰ったが、エジプトの夕日に実に映えると言う。
夕日に映えるキリコを見た瞬間、いつも何か、“ひらめき”を感じると言う。
私は、エジプトで見たあのキリコの光を忘れられない。