横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

ブラジルの大川社長には二度とブラジルには来ないと言ったものの、やはり、そうはいかなかった。結局、延べ回数では8回位行ったことになる。
その内の一回がとても印象的なものとなった。
私がブラジルに入った時は、当時の経団連会長の土光敏夫さんが、国会議員25人くらいを連れて、ブラジルに入っていた。
その状況がブラジルのテレビニュースで流されていた。
土光さんが、内陸部のベロホリゾンテという町に行き、そこの牧場で肉を食べている光景だった。
それから2日後、土光さんが我々のいるTOSHIBA MED ICAL DO BRASIL(TMB)にこられるということで大騒ぎ。
土光さんは、秘書一人を連れてオフィスに入って来た。
土光さんに対して、大川社長は10分程度のプレゼンテーションをしたが、土光さんは一言二言質問をして、後は雑談。大川社長は日本から来ているスタッフと私を紹介してくれた。
どこから聞いたか知らないが、大川社長が面白い質問をした。
「土光さんは、福田首相を時々叱りつけておられるとか、雑誌にかいてありましたが、あれは本当ですか?」
すると、土光さんは、
「そういうことじゃあないんだ。月一回、福田首相と昼食を食べているんだ。その時の僕の声が大きいから周りがそう見るんだ。そういうことだよ。」
大川社長は更に聞いた。
「ブラジル大統領にどのようにアドバイスされたのですか?」、と。
すると、土光さんは、
「大統領が、ブラジルは日本のようになれるでしょうか?と聞かれたので、大丈夫だよ、この国は。資源もあるし、人もいるからといっただけなんだよ」、と簡単に答えた。
話しが終わりかけた時、大川社長は色紙を4枚持って来させ、記念の為、色紙に会長のお好きな言葉を書いていただけませんか?と依頼すると、アッサリと、いいよと言って、4枚の色紙にサラサラと筆で書いた。
その言葉は、
日々是好日
だった。
そして、私に向かって、
「佐藤君、君は東京に間もなくかえるんだろ?そしたら、この色紙を持って、経団連の私の所に来てくれ。私の印を押すから」と言った。
ちょっと、ミーハーかも知れないが、歳27〜8で経団連の会長に会ったのは、やはり、嬉しかった。
実は私が東芝に入った時は土光さんは東芝の社長で、入社式では、遥か向こうに土光さんが見えた。
ともかく、私は東京に戻ると、経団連のオフィスに行き、経団連会長の秘書とコンタクトし、4枚の色紙に土光経団連会長の印をもらって、ブラジルに送った。

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