横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

東芝には、いろんな人間がいたが、どうしてもこの二人は特筆すべきである。
一人は横嶋という男。多分、私より4歳は上かと思う。
私が、北米担当になるというので、メキシコ出張の帰りに、ロサンゼルスにある東芝アメリカ(TAI)の本社に寄った時、総務部長として会ったのが初めてである。
その時は挨拶程度で別れたが、その三年後に我々の部に来るとは思わなかった。
幸い、私は業務課で東京女子医大に勉強に行ったり、自分のペースでオーダーエントリーシステムの構築をやっていたから、この男と直接仕事をすることはなかった。
この横嶋という男ほど、出世意識の高かった人間は見たことがない。
東大卒で、当時の日本興業銀行の頭取の娘と結婚したとか。その時の仲人は東芝の社長だったとか。
それだけなら、別に腹を立てる必要もない。
しかし、日頃の態度が問題なのだ。
本人は北米担当課長なのに、部長の机に座り、立っている部長と話をするという不躾な態度。
社長室に自由に出入りし、社長がこう言っていたなどと誰彼構わず喋りまくっていた。
部長もその上の事業部長も、そんな彼に注意すら出来ない。だから、海外出張も自分が決め、いつ帰って来るのか分からない。そんな奴が、出張レポートを書く筈もない。
こんな自分中心の男は見たことがない。
結局、医用機器国際部に三年居て、東芝カナダに社長として行くことになった。
そんなある日、私は栃木県の大田原市にある東芝医用機器工場に出張に行った時のこと。
いつものように宇都宮駅に行き、新幹線に乗り換えるため、最寄りの矢板駅から鈍行電車に乗っていると、偶然、横嶋も乗って来た。
横嶋は、私を見つけ、話を始めた。
「佐藤さんとはあまり話す機会が無かったね。実は、僕がカナダに行く話しは聞いていると思うが、東芝カナダは色々な事業部とのビジネスをやらなければならないから、医用機器事業を私の片腕としてやってもらう人を探しているんだよ。そこで、佐藤さん、私と一緒にやってくれないだろうか?」
私は、
「お誘いはありがたいが、申し訳ない。お断りします。」
と簡単に返した。
すると、
「どうして?悪い話じゃあ無いと思うんだが、、、」
と言ってきた。
私は、
「私は、徳のない人とは仕事をしたくないんで。」
と言うと、横嶋は元々細い目をもっと細くして私を睨みつけて、座席を立って行った。
私が東芝を辞めて間もなく、風の便りに、横嶋は失脚して、東芝を辞めたと聞いた。

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