日田市長を三期勤められた広瀬さんは、昭和二十八年に、代議士に立候補された。
私達の家が広く、大通りに面し、殊に広い土間が通りにあることで、
表の土間だけでも事務所にして欲しいと、市からの再三の頼みにより、土間と応接間だけを、
一ヶ月だけ貸すことになった。
いざ貸してみると、家中、人の出入りで、ごった返し、仕事も手につかぬ状態となった。
私もよんどころなく、佐伯や延岡まで、知人を頼り、応援を頼みに行った。
結果は見事一位で当選だった。
以来三回、改選あるごとに、この広瀬氏の事務所に、是が非でもと、泣き落とされた。
一位当選の縁起を担ぎ、あまりにもしつこく、頼まれるので、貸す羽目となった。