横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

五十九年の八月に、夫は悠生園に入園することが出来た。

お蔭で私は大分楽になった。入園した夫から、毎日ハガキが届いた。

園内の生活、私が行く時、持参する物、待っていることなど、いつも似たようなことを書いてきた。

また、時々、

「俺はこんな所にいるような人間じゃあない。だから帰る。」と書いてきた。

私は、二日か三日おきに、夫の好物を取り揃えて持って行った。その日は朝から行き、夕方になり、帰った。

悠生園は、大野城市の東の端に、山を背にして建っていた。西鉄白木原駅で下車し、園まではバスがないので、タクシーか歩くしかなかった。私は大抵歩いた。往きが少し坂があるので三十五分、帰りは三十分を歩いた。一つには自分の健康のために歩いた。

園では、月一回五日間まで、自宅に帰ることを許された。夫は毎月五日間を自宅で過ごした。帰る日は、朝からタクシーで連れて帰り、五日過ぎて、園に送って行った。

帰って来た五日間は、夫に振り回された。本を買いに行く。眼鏡が合わなくなったから、眼鏡屋に、眼科医院に、歯科医院と付き添って、タクシーを乗り回さねばならなかった。

やはり、家にいれば手が掛り、金のかかる人である。

五日経ち、帰る日になると、自分の方から帰ると言いだした。やはり、園の賑やかな雰囲気に慣れていったようである。