横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

我々人類の祖先は、小さなねずみで恐竜時代を生き抜いてきた。
いつ恐竜に食べられるかわからない毎日である。
自分の子供や親が目の前で食べられる様を、ずーっと見続けてきた。

このままでは、自分たちは生き抜けない。
自分は変わらなければと感じ続けたことであろう。
少しずつの変化で、自分が変わっていった。

自分を変えるためには、恐竜からの恐怖が必要であった。

恐怖こそが、自分の魂を通して、自分を変えていったのだ。

人間にとって、この種の緊張感がいかに必要なのかは日常の生活を通してよく理解できる。

40年ものあいだサラリーマンとして働いた人が、リタイヤした途端、めっきり老けてしまい、
しゃきっとした生活ができないケースを多く見かける。

朝・昼・晩と出されたものを食べ、平穏に暮らし、時々旅行の計画を立てる程度では、生命力がなくなっていくのであろう。

人間の体の中では、細胞レベルで絶えず戦っている。

細菌やウィルスなどの外敵が侵入してきたら、まず、食細胞が反撃に出る。
また、白血球も自らを犠牲にし、外敵の弱点を知りその対策を講じる。

体の細部で戦っているのに、脳内に緊張感がなければ、指令が的確に出ることはない。

すなわち、免疫力が弱くなる。

かくして、人間の生命力はなくなるのだ。

日々の緊張感こそが生命力の原動力であることを我々は知らなければならない。

緊張感こそ、我々は率先して求めていかなければ、我々は死んでしまうのだ。

戦いこそが必要。

生きる目標を失ってはならない。

食べるものを探し回る意識を忘れてはならない。