横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

娘は、ようやく入学が決まった。

この2ヶ月、発表のたびに涙の連続。
親としては励ますが、それも甲斐なし。
終いには、受験結果を見るのが恐怖になるほど。
自分としては、どこかにひっかかるだろうと軽く考えていたようだ。
しかし、そうは簡単ではなかった。
私学が落ち、国立前期が落ち、残るは国立後期。
母親は、娘と同行。
母親にできることはただひたすらに祈ること。
受験会場が長野だったので、善光寺さまへ朝の6時から。
”お数珠頂戴”の儀式があるというので出かけて行く。
3月初めの長野は寒い。
受験が終わっても、朝早く起き出して、月に向かって祈っていたとか。

しかし、合格してからは全く雰囲気が変わった。
救われたのは当然本人。
しかし、我々親の心境もがらりと変わった。
本当によかったと感じた。
今から40数年前の私のことを思い出した。
親の気持ちはこうだったんだな、と。

早速、下宿探し。
また、入学手続き。
あわただしく時が経ち、4月1日、引越し。
朝の4時過ぎから横浜を出かける。
八王子インターで渋滞になるのを避けるため。
下宿先では、必要なものを買っているとすぐに夕方。
雨が降っており、スーパーで娘の夕食に刺身を買ってやる。
いよいよ、親が帰ることが気になりだしたようで、ピッタシと母親に寄り添う。
さぞや、一人で食べる夕飯は、寂しいだろうなと感じた。
多分、涙で食べられないだろうなと思った。
そこで、「おかあさん、三人で食べて帰るか?」と提案した。
その瞬間、娘の表情が明るくなった。
下宿で三人で食卓に着いた。
食卓といっても、アイロン台。
ところが、娘は途中で眠たいと布団に入って起きてこない。
私たちは、娘の気持ちを考えて、少しでも元気になる話しをするのだが、
なかなか乗ってこない。
初めて娘を松本市の下宿において帰る親の気持ちは複雑なものである。
一人でやっていけるだろうか?・・・・

入学式が4月6日(月)。
我々は、娘の服など一回目に運べなかったものを車に積み込み、4月5日に出かけた。
松本に着いた時には、娘は学校の説明会に出かけたところ。
大学で娘から鍵を受け取り、下宿に入り、必要なものを買いに出かけた。
その夜は前夜祭で、隣の娘さんと一緒に出かけた。
娘が松本に来て、5日も経ったせいか、娘はもう落ち着いていた。
夜は、親子三人で寝た。
翌朝は入学式。
荘厳な入学式はやはり感動した。

セレモニーが終わると娘は色々な説明会があるので、別れた。
この時は、もう娘の表情に寂しさを見ることはなかった。
我々は、横浜に向かった。
途中、双葉インターから見えた富士山が素晴らしかったので、そこで休憩をした。

無事、横浜に着き、家内が聞く。
「下着を出しなさい。下着はどこ?パンツは?」
私は、「パンツは青い袋に入っているだろう?えっ、ない?」
「娘のところにパンツを忘れてきたの?・・・」
「嫌がるわよ、あの子!」

「サヤカ、お父さんのパンツの入った青い袋があるでしょう?あんた、パンツを洗っておいて・・・。いや?
そりゃあそうね、私だっていやだもの。」