横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

時はまさにワールドカップが始まったその翌日の出来事。

私は家内と昼食に出かけた。 時には美味しいそばでも食べようと、あざみ野まで出かけた。
天丼と盛りそばセットを我々は注文した。
待つこと15分、注文した料理が運ばれてきた。久々の天丼。味はおいしい。チョット疲れ気味の我々は食べることこそ大事なこと。
そのためにチョット太り気味。レストランではチョット変わった会話もできる。ともにオフィスで働いていると、なかなか話題が変わらない。そんな時には外食に限る。

我々が天丼を食べていると、私の後ろから、男性の声で、「いいでしょうか?」、と聞こえてきた。
私は、気にせずに食べていたが、話の内容で二人連れで、しかも、車椅子で来たんだな、と思った。
まもなく、店員に誘導され、我々とは通路を挟んだ隣ののテーブルにやってきた。
その瞬間、私はビックリした。親子連れで、男性は25~6歳。車椅子の女性は彼のお母さんらしく、55歳くらい。
その女性は、顔を少し上に向け、目はカッと見開いたまま動かない。
多分、脳梗塞かなんかで、半身、いやほとんどが不随状態。家内の話では、手でものを握ることはできたそうだ。
いずれにせよ、自分で何かが出来る状態ではない。

多分、母一人、子一人なのだろう。

日頃は、老人ケアサービスに頼み、土日は自分で面倒を見てやろうということなのだろう。

その青年は、背中にリュックを背負い、車椅子で母親を連れ出し散歩をし、昼になったので何か美味しいものを食べようと、レストランに入ってきた。。

青年は、母親に、「そば?天丼?親子丼?・・・」、と聞いていたが、母親は天丼を注文したようだ。多分、手で合図をしたか、少なくとも言葉は出なかった。
私達は、普通に食べて、普通に外に出た。
車の中での会話は当然、その親子のこと。特に、その青年のこと。素晴らしいと共に思った。ただひたすら、母親が喜ぶだろうということを考えている。
自分がどう思われようが、そんな事など構わない。
その会話の中で、男の私と全く違った家内の話が興味深かった。

自分が、ああなったら、息子の慎吾はあのように面倒を見てくれるだろうか?
また、娘の結婚相手は、あんな人がいい、と。
母親というものは絶えず自分と子供のことを、こんな風に考えるものなのか、とあらためて知った。
私は、どう思ったかというと、「あの青年は、いつかは必ず幸せになるだろう。立派なものだ。幸せになってもらいたい。」、と。
今日は、非常にいい気分になれた。