横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

村では出方という風習があった。お互いに労力を出し合って、道路づくりや修理、川の掃除、学校のこと、お宮のこと、お寺のことなど皆でやっていた。特に田畑を持っている所は、農道づくりや、水路のことなど、一年を通じて、相当の日数の出方があった。

そのほか、近所の葬儀や、村の祭りなど数え上げればきりが無いほどだった。

その出方に女が出れば、半額は金を支払わねばならなかった。例えその家に男が居なくても、女は半人前としか扱われなかった。男でさえあれば、あまり動かぬ老人でも、一人前で通った。

母はすべての出方に、自分が出ねばならぬので、いつも日当の半額は支払っていたようである。
「女は一所懸命働くのに半人前とは。男でも老人は座り込んで煙草ばかり吹かし、時々立ってきて手を動かすだけで、一人前とはあんまりにも不合理だ。」
と言って腹を立てていた。

さて、兄は高等小学校を卒業すると、村の信用組合の販売部に勤めるようになった。夜間は青年学校に通った。頭がよかったので、本来なら中学校に進みたかったのだと思う。兄は真面目で、人当たりの優しい青年だったので、誰からも愛された。

ある時、こんなことがあった。

その日は、私がぜんざいを作っていた。兄は昼食に帰って来て、ぜんざいのできるのをお膳の前に座って待っていた。

当時、田舎では、かまどは土間にあり、薪を燃やして煮炊きをしていた。ぜんざいはお釜で作った。出来上がったので、早く兄の座っている所まで持っていくために、鍋のふちをつかんで立ち上がった瞬間、手が滑って、ぜんざいは無残にも、竈(かまど)の中に全部こぼれてしまった。

竈には燠(おき)が沢山あったので、凄まじい音と勢いで、灰がひとしきり舞い上がった。

私は茫然とそれを見つめ、悔しさと申し訳なさで、胸がいっぱいになり、そのうえ舞い上がった灰が目に入り、涙が止まらなかった。

その様子を、お箸を持ったまま見ていた兄は笑顔で、
「火傷はしなかったか?ああ、ぜんざい屋が大損せらした。」
と言ったきり、黙って冷御飯をさっさと食べて、職場に帰って行った。

「たいていの男は、お腹をすかして待っているのに、このような失敗をしたら怒鳴ったりするよ。一口も文句を言わず、我慢してゆくような兄さんは、なかなかいないよ。」

と母は言った。

私もその通りだったと思った。このぜんざい事件は、兄の性格を知るのに十分である。