今日を楽しめと仏教は教える。
だが、なぜか、この言葉が引っかかるのは私だけではないだろう。
今、苦しんでいる人が多いのに、 今日を楽しむ気にはならない。
今のこの現実から抜け出すためには、「明日がある」とか、「また日が昇る」の方がしっくりくる。
しかし、古代ローマの抒情詩人のホラティウスの言葉に、
「カルペ・ディエム」 (今日を楽しめ)
がある。
また、イエスの言葉に、
「だから、 明日のことまで思い迷うな。明日のことは明日自らが思い迷うのだ。その日の苦労は、その日だけで十分だ。」
とある。
釈迦はこう言っている。
「過去を追うな。
未来を願うな。
過去は既に捨てられた。
未来はまだやって来ない。
だから、現在の事柄を、
現在においてよく観察し、
揺らぐことなく動ずることなく、
よく見極めて実践すべし。
ただ、今日なすべきことを熱心になさ。
誰が、明日の死あることを知っているであろうか。」
今日を楽しめとは、今を大事にという意味のようだ。
どうも、本当の賢人は 、明日のことより今を真剣に生きることを主張しているようだ。