私が後一年で卒業という時、母の従妹で上広川村の村長だった重野新さんが私に一つの縁談を持って来られた。重野さんは始終私の家に来て粘り強く勧められた。
「まだ子供だから、縁談なんか早いですよ。」
と、母は言った。
「子供と言っても、もう 17 じゃあないですか。早か人はもう嫁にいっとるですばい。」
「まだ志乃は御飯も上手に炊けんですよ。」
母は縫物の手を休めず、まだ子供だから縁談の話なんかおかしいと言うばかりだった。
「ハツちゃん、あんたがそういうことを言ったら、本人は『うん』と言わんですばい。早すぎると思っているうちが花。女は直ぐ歳ばとって、誰も振り向かんようになる。」
と村長さんはなお続けた。
「相手の家は財産もあるし、一人息子で、銀行員だし良縁と思うがのう。」
次から次に良縁を主張して、母に勧めた。
直接、私も口説かれた。
「兎に角、結婚はあんたが卒業してからじゃけん、あんたが承知してくれさえすれば、決め茶だけ取り交わしとけばよかけん。」
あの手この手で口説かれた。
「すみませんが、私は卒業しても、当分は結婚しようと思っておりません。」
私は繰り返し言って断った。
村長さんも諦めたのか、その後は来られなくなった。しかし、こんな良縁を断るなんて、少々自惚れ過ぎてはしないかと、母は嫌味を言われたらしいが、私にはそのことを言わなかった。
考えてみれば、確かに非の打ちどころのない良縁に違いなかった。
相手の男性は私も知っていたが、中肉中背の色白の、まさに銀行員というタイプの人だった。もし、私がこの結婚を受けていたら、金に苦労もなく、平安な日を送ったかもしれない。
こうして、一つの区切りがついて、私たち親娘はホッとした。
私は卒業を来春に控え、どうしても進学の夢が、頭を離れなかった。
丁度この頃祖母が亡くなり、続いて兄の結婚があったので、我が家は何となく、騒々しい日々が続いた。