横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

夏の思い出といえば次の歌を思い起こす人が多いでしょう

夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬(おぜ) 遠い空
霧のなかに うかびくる
やさしい影 野の小径(こみち)
水芭蕉(みずばしょう)の花が 咲いている
夢見て咲いている水のほとり
石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空・・・・・

実は今日、暑い陽射しの下を歩いていると、ふと、この「夏の思い出」の歌を思い出した。しかし、よくよく自分のことを冷静に考えてみると、こんな日光の尾瀬を歩く情景など私の過去にはなかったことに気が付いた。我々が知らないと思ってこんな曲を歌わせていたのだ。すなわち、この曲は金持ち家族の夏の思い出なのだ。我々庶民には全く縁のない歌だったことに気がついた。

そこで、私の本当の夏の思い出を語りましょう。

私が中学3年生の夏休み、私は朝から、家の前で、藁を細かく切り、赤い土に水とその藁を入れ、足で踏んで、壁土を作るのだ。

実は私が中学1年の時に親父が国鉄を退職した。
その退職金で家を建てることにしたのだ。しかし、退職金といえども、それほど多くは無かったのであろう。
そこで、親父は考えた。
親父の親父が昔、”サスバの山”(松獄山の奥)に植林していた杉を使おうと考えた。
このことについては、また、別の機会に書くことにする。

親父は極力、家を建てるのに金を掛けないようにしたのだ。
だから、壁塗りも全て家族でやろうとしたのだ。
壁塗りも当然、自分でやるのだ。
そして、その壁土を私に作らせていたのだ。

しかし、私がバレーボールクラブに入っていて、夏休みの午後に練習に行くことには何も言わなかった。

お茶漬けと漬物で昼を済ますと、自転車で中学校に向かう。本当に暑い夏だった。

私には高校受験という言葉はなかった。
壁土造りとバレーボールが私の夏の思い出なのだ。
今となれば、それが懐かしい。