私との結婚前の話であるが、夫は現役の時、太刀洗の飛行隊に入隊した。それで、飛行機のことは勿論、機械のことは専門家並みに詳しかった。 夫が現役二等兵の時、秩父宮様が太刀洗の飛行隊に一カ月間入隊された。 久留米市に日本ゴムの石橋別邸が新しく建ち …

私との結婚前の話であるが、夫は現役の時、太刀洗の飛行隊に入隊した。それで、飛行機のことは勿論、機械のことは専門家並みに詳しかった。 夫が現役二等兵の時、秩父宮様が太刀洗の飛行隊に一カ月間入隊された。 久留米市に日本ゴムの石橋別邸が新しく建ち …
昭和九年の五月、私は材木屋に嫁いだ。 私は二十一歳になったばかり、夫は二十八歳だった。 夫は製材工場を、八女の星野村に当時持っていた。私はそんな奥に住みたくないので、工場を移転することを希望した。夫もその移転の件は、かねがね考えていたらしく …
私が女学校を卒業した翌年、いつもお世話になっている野中さんから一つの縁談が持ち込まれた。この人は遠縁にあたるけど、裏隣りで、親しく行き来していて、私も大変かわいがられた。私はおじさんと呼んでいた。 おじさん夫婦には子供が居なかったので、小さ …
小学子六年の半ば頃になり、私も女学校に進みたいと考えながらも、兄が中学校をあきらめたのに、女の自分が進学するのは、兄にすまないような気がした。 そんなある日、受け持ちの十時(ととき)先生が突然家に訪ねて来られた。 十時先生は、四十歳代で教育 …
私が小学校を終えるまでは、家族四人の生活に、電燈は四十燭光が二つだけだった。一燈だけの家も多かったので、普通だったのだろう。 家の建坪は、一階が四十坪位、二階が十坪位で、畳の部屋が五つと、板張りの部屋が二部屋あった。土間はかなり広く、納屋と …
村では出方という風習があった。お互いに労力を出し合って、道路づくりや修理、川の掃除、学校のこと、お宮のこと、お寺のことなど皆でやっていた。特に田畑を持っている所は、農道づくりや、水路のことなど、一年を通じて、相当の日数の出方があった。 その …
私のおじいさん“母の父”は、粋な人だった。 おばあちゃんは脳溢血で、五十歳で亡くなった。おじいさんは小柄で白髪だった。 大変声がよく浄瑠璃も歌も上手だった。時には三味線も弾いた。 また、俳句や短歌も作った。 自分の家の近くに、貸家をいくつか …
祖母フサは大変な信仰家だった。仏教の話はお坊さんに負けぬくらい知っていたので、近所のおばあさん達は、毎晩のように来て、信心の話を聞いていた。 祖母は字が全然読めないのに、聞き覚えで、一時間でも二時間でも親鸞聖人の経典を引用して話していた。 …
三十歳で未亡人となった母は、再婚はしなかったので、女としては寂しい一生を送り、子供の成長だけを楽しみに、生きたようである。 私にとって、父は物心つく前から居なかったせいか、父が居なくてもどうということはなかった。死んだという実感もなかった。 …