天海の柿

2014年01月13日

僧 天海

江戸前期、天台宗の僧で天海という人がいた。

この天海は、徳川家康、秀忠、家光の三代の将軍に仕えた。
宗教的顧問役のような存在で、「黒衣の宰相」とも言われている。

1622年天海は江戸城の艮(うしとら:東北)の方角にある上野忍ヶ岡を幕府から拝領すると、ここに東叡山寛永寺を建立した。東の比叡山の意味である。

艮は陰陽道では「鬼門」といい、鬼が出入りする不吉な方角とされる。

この天海という僧は、前半生が全く記録にない。
俗説には、明智光秀が天海ではないかという。
本能寺の変を起こした明智光秀が生き残り、天海になって現われたというのだ。
年齢的にはピッタリ合うというのが不思議なところである。
天海は1643年に亡くなったというから、108歳の長寿だったのだ。

天海が徳川家康と交わりを持ったのが70を過ぎた頃であるというから驚きである。

天海が90を超えた頃、将軍家光に呼ばれ、城中で柿をごちそうになった。
その柿の種を紙に包み、懐に入れる様を家光が見て、尋ねる。
天海は、

「この種を庭に植える」 と答えた。
家光は、
「桃栗三年、柿八年というではないか。お主は90を過ぎているではないか?」
といぶかしげに言うと、天海は、それを制して、
「将軍ともあろうお方が、物事を性急に判断されてはなりませぬ」
と叱ったという。

その後、天海はその種が育ち、実った柿を家光に献上したのだそうだ。
物事は、決して性急に判断してはならないという教え。
いつ何が起きるかわからないから。