横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

早津山で番頭をしていた平塚さんは、早津山を売却し始めた年、私達の仲人で、結婚した。お嫁さんは上広川の人で、当時、上広川小学校の重野先生だった。一年間は次女道子のクラスの受け持ちの先生だった。

夫は、この重野先生に目を付け、何度も先生の自宅に通い、とうとう貰い受けて、無事に結婚させた。

ところが、平塚さんは、結婚早々で、胃の激痛を起こし、日田の病院で、その日のうちに手術を受けた。その後、腹膜炎を併発し、病気は長引いた。

退院して、暫くは、日田の私の家に寝ていたが、実家に帰り養生することになった。

この二人のことは仲人の責任からも、いつも気にかかっていたが、今では一男一女の子たちも成人し、経済的にも恵まれ、幸せな生活を送っておられる。

私達は五組の仲人をしたが、いづれの人達も、財を得、人望を得、幸せな家庭を持っておられる。