横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

私には、予感という言葉がひどく気にかかる。
予感とは、何かが近づいて来るということだと私は理解している。
それは、いい予感もあれば悪い予感もあろう。
しかし、やはり、悪い予感の方が気になるものだ。
その予感を感じた時は、なぜか、家族のことが気になる。
昔は、両親のこと、今は、家内や、子供達のこと。
どうも、予感という時には、「助けて!」と言った叫びが聞こえてくるような気がする。
今から数年前の話。
土曜日だったか、日曜日だったか、朝、次女と朝食を取っていると、ベランダから何か音がする。コッソリとカーテンを開けると、ベランダの手すりに一羽の野鳩が泊まっていて、何やらジッと我々の方を見ている。
私は娘に、「あれは、ヨシノさんが何かを言いに来たのだよ」と、言った。何故か、私にはそう感じたのだ。この野鳩は、多分1分位そこにいた。そして、飛んで行った。そんな風に、野鳩が1分位いたことは、それ以降一度もない。
その野鳩が立ち去って、間も無く、ヨシノさんが息を引き取ったと連絡を受けた。
私は、「やはりそうだったんだ。私の家内に別れを言いに来たんだ。」と確信した。

そんな風に、予感というものは、自分には何も見えていないが、何かを感じるということはあるのだ。
誰かが何かを発信している。何かを教えようとしている。
私はただボンヤリと思うだけ。第六感の感じる技なのだろうか?
私は今は渦理論を展開しているから、その渦理論で語ってみよう。
私の乗っている渦に別の渦が近づいて来る。その渦にいる私に関わりのあった人々が、私に叫んでいるのだ。さようなら、と。あるいは、お前の乗っている渦から離れろ。その、渦は岩に砕けて、粉々になる運命だと。
すなわち、予感を感じた時こそ、目を閉じて、周りの渦が近づいて来るのを感じるのだ。
チャクラを研ぎ澄ませて、邪念を払い、唯々、感じることだ。
黙想こそが必要なのである。
予感を感じたら、即、黙想。
必ず、何かを思い起こさせるのだ。
以前は、何かが聞こえてくると思っていたが、そうではない。
何かを思い起こさせるのだ。

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