横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

私の実感として、守護霊に守られて、助かったという実感はない。
昔、私の家内がある霊媒師に言われたという。
あなたの守護霊はおばあちゃんだと。
家内曰く、自分は何かの守護霊に守られているような気がするというのだ。
すなわち、窮地に追い込まれた時に、誰かが助けてくれているような気がするというのだ。
そんな言い方をするなら、多分、多くの人々が経験しているのではなかろうか。
困った時には、なぜか、不思議に助け船がやって来るのだ。
お金に困っても、誰かが助けてくれる。
病気になっても、誰かが助けてくれる。
受験に失敗しても、誰かが勇気をくれる。
失恋したって、別のいい人が現れる。
失敗した後の方が、かえっていいかも知れない。
仏教的には、その時、観音様や地蔵様が現れるというのだ。
私はいつもこう思っている。
それは、自分の中に残された記憶のせいだと思う。
その記憶は遺伝子の中に組み込まれているのかもしれないし、別に、心臓や脳に残された記憶なのかもしれない。
状況に応じて、その記憶が蘇る。
その記憶は、ある時には知恵だったり、ひらめきだったりするのだ。
それでも解決出来なければ、外部記憶までも呼び込んでくるのだ。
即ち、他人の記憶を借りてくるのだ。
そのアンテナがチャクラなのだ。
即ち、守護霊とは人類が残した記憶であり、知恵なのだ。

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