横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

私は小さい頃から本を読むことは好きではなかった。そんな子供は、字を書くことが好きな筈はない。
小学校でも、中学校でも、高校の時もノートをとるということはなかった。
小学校の時は、授業の時先生が黒板に書いてあることは、みんな本に書いてある。なぜ、ノートに書かなければならないのか意味が分からなかった。

中学校、高校では、片っ端から覚えていったので、ノートなど無用であった。数学は、問題を解くことでマスターしていった。
途中、友達がノートにまとめると覚えやすいというのでやってみた。
しかし、私は全て暗記することで、ノートを必要としなかった。
だから、私はノートにまとめることが、実にへただった。というよりも、ノートを活用することが今でも下手なのだ。このように、文章を書く時でさえ、全て頭の中でシナリオを書き上げ、文章にしていくのだ。

私が、会社に入って驚いた。
みんな、ノートの取り方が非常にうまいのだ。
中でも、私の部下だった女性にはびっくりしたことがある。私の所は、医用機器の輸出課であった。そこに配属されて来た上智大卒の女性に約1時間、輸出に関する講義をした。
私の話を聞きながら、ノートにスラスラ書いていた。
講義が終わって彼女のノートを見た時、私は愕然とした。私の言ったことが綺麗にまとまっていたのだ。

字を書くことが嫌いな私に、赤ん坊が生まれることになった。33歳の時だったと思う。
私は、生まれてくる子供の命名の字を自分で書かなければならないと思い、一念発起して習字の練習を始めた。最初の1時間は、全く字にはならない。しかし、1時間が経つと、なぜか筆の動きがスムーズになっていくのだ。この習字の練習は約9ヶ月で、娘が誕生。
次の長男、次女の時も同様に練習した。
いずれも、1時間の練習後に、筆捌きが変わることを実感した。
多分、1時間の集中で、私のチャクラに何かが届くのだと思う。

瞑想することと、同じことだと思う。

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