横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

私は散歩が好きだ。歩いていると不思議に色々なことを思いつく。
それと同時に、ある決まった所に来ると昔歌った曲を歌ってしまう。
例えば、風の歌である。
誰が風を見たでしょか?

誰も風を見やしない〜
私が小学生の時に習った曲である。
外がひんやりとした時に、出て来るのだ。
他にも何曲か、口ずさむ曲がある。
その時の外の様子によって、違った曲を口ずさむのだ。
そんな時、ふと、音のことが気になり始める。
音は不思議だと日頃から思っている。
私は、眠りにすぐつく。
しかし、やはり眠れない時もある。
その時には、YouTubeで、海の波の音を聞く。すると、たちまちのうちに眠りにはいる。
これはなぜだろうかと自問自答する。
物の本には、我々が胎児の時、母親の胎内の羊水の中にいたためだろうという人もいる。
私は海の波の音だと信じる。
我々の記憶には、多分、進化途中の記憶が残っているのだろうと思う。
即ち、陸に上がる前の魚類の時代の記憶であろうかと思う。
ヨガでは、音と光が我々に何かを伝えるという。
ウォーン、ウォーン
という音が聞こえるのだそうな。
仏教の真言宗の朝のお坊さんのお経を聞いていると、そのような音が聞こえてくるのはそのヨガから来ているのではないかと思う。
ヨガではこれは宇宙に流れている音だというが、私は地球自身の音、あるいは、地球が動いている音だと思う。
その音に我々は当然影響されているのだ。
また、我々も口から、心臓から、あるいは手足から音を出している。
多分、仲間を呼ぶか、あるいは、仲間を避けるためか、助けを呼ぶためか、様々な理由で音を発するのだ。
音は、我々仲間が共存するためにはなくてはならないものなのだ。
光が電磁波で、音は疎密波というのも面白い。
光は、真空中の中も、距離も関係無く進むことができるが、音は空気中だとか、個体、液体などの物質の中しか伝わらないのだ。
このことはとても興味深いことなのた。
先人の偉い人もそこを見誤ってしまったのではなかろうか。
すなわち、光は無限の世界を進むもので、音は有限の世界しか伝わらない。しかも、減衰してしまうことである。
私は、そこがとても面白いと思う。

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