横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

いよいよ、オーダーエントリーシステムが完成するので、私は営業復帰することになった。
ところが、東芝ココム事件が起きてしまう。
この事件の概要は以下のとおり。

東芝機械は伊藤忠商事とダミー会社の和光交易を通じて、1982年12月から1984年にかけて、ソビエト連邦技術機械輸入公団へ『工作機械』8台と当該工作機械を制御するためのNC装置及びソフトウェアをノルウェー経由で輸出した。この機械は高性能モデルであり、輸出は当然対共産圏輸出統制委員会(ココム)違反として禁止されていた。
しかし東芝機械と伊藤忠商事の手で1982年から1983年にかけて機械本体がソビエト連邦に輸出され、修正ソフトは1984年に輸出された。
東芝機械と伊藤忠商事はもちろん、担当した和光交易の社員も輸出する機械は同時2軸制御の大型立旋盤の輸出であるとの偽りの輸出許可申請書を作成し、海外にて組み立て直すとして契約を交わした。
アメリカ合衆国連邦政府は、この取引を1986年末に、和光交易の社員からの密告で知った。

早速、東芝は米国商務省の査察を受ける。同時にココム違反をした東芝製品の不買運動が北米で巻き起こる。米国議会の議員のデモンストレーションで、東芝のラップトップパソコンがハンマーで打ち壊さられるシーンがテレビで流される。
こんな時点でも東芝社員の多くは、何が起きたのか分からない。
東芝社長の青井は恭順の姿勢を貫くと明言した。
即ち、米国商務省の指導に従う姿勢を取った。
先ず、東芝の全ての部門はココム製品チェックとしてそれまでにどのようなことをしていたか報告しなければならなかった。
実際問題、ココムに関しては国際部の連中はどんな規制があるか分かっていたが、工場の連中には何のことかさっぱり分からないのだ。
しかし、米国商務省は、全ての部門でココム該当品の出荷であるかどうかを紙でチェックせよと言う。
我々は、それは無意味なことと主張するが、そんなことは通らない。
受注時から船積まで、それに関わる部門は、出荷する製品や部品の全てが、ココムは該当品であることをチェックし、それを紙もので記録しなければならないのだ。
そこで、私の作り上げたオーダーエントリーシステムが役立ったのだ。
もし、このシステムがなかったら、どんなに手間隙がかかったことかと思うとゾッとする。
このシステムが出来上がった時には、あの販売見込みを一人で牛耳っていたあの八代も我々のチームの一員になっていた。

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