横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

マレーシアでの出来事。
私がまだ主任だった時、シンガポール駐在の藤木君から電話がかかってきた。
元気のない声で、ボソボソ言うが、何を言っているのか分からない。
これはただ事ではないと思い、事情をゆっくり聞いた。
話の内容はこうだ。
マレーシアで受注したレントゲン装置、価格は約5,000万円位だが、クアラルンプールの港に着き、通関で待たされ、ようやく通関が済んでも、病院の準備が出来ていなくて、倉庫に保管していた。そして、半年後、病院に持ち込み据え付けを始めようとしたら、何と錆びだらけ。早速、東海保険会社(仮称)に連絡したら、保税倉庫から別の倉庫に移動した段階で、通常の海上保険が効かなくなっていた。
これだけで東芝は5,000万円の損失。
そこで私は、企画部の西田さん(後の東芝社長)を訪ね、相談した。
すると、西田さんは早速、東海保険会社の東芝担当部長を呼び出し、相談してくれた。すると、あっさり、無効だった保険を書き直し、有効にしてくれるということになった。ただ、この問題は担当部長レベルの問題では無理で、東海保険会社の取締役を連れて来るから是非、国際部の事業部長岡本と話をする機会を作ってくれと言う。
そこで後日、東海保険会社の取締役と部長がやって来て、西田さんが岡本事業部長の所に連れて行き、双方挨拶をして、全てオーケーとなる。
この席には私も同席した。
すると、この結果を東芝の白石財務部長(取締役)の所に報告に行こう、ということで、岡本事業部長は白石財務部長の所に連れて行った。
すでにこの話は白石の所まで報告が上がっていたのだ。
白石財務部長の所には東海保険会社の二人と岡本事業部長と西田さんと私が行った。
部屋で待っていると、待たせて悪かったと言いながら白石財務部長は入って来た。
岡本事業部長が、ことの顛末を報告すると、見る見るうちに白石財務部長の表情が変わって来た。
そして、岡本事業部長に向かって、
「お前は、乞食か!」と一喝した。
「お前は、保険というものを真剣に考えているのか!それでも、国際部の事業部長か?!」
と更に一喝した。
東海保険会社の取締役に向かって、深々と頭を下げて、
「真に申し訳ありません。今後は二度とこのようなご迷惑はお掛けしません。」、と真剣に謝ったのだ。
私はこの光景を見て、一体どうなっているのか?と不不可解だった。
最初から、整理すると、
担当者が、保険の期間を延長してくれと頼んだが、それは無理だと断られた。これは当然のことと思う。
次に東芝本社の課長が保険会社の部長に話しをしたところ、東芝の事業部長と保険会社の取締役との会談でオーケーにしようと保険会社が回答をした。
そのことを東芝の財務部長に報告すると、東芝の事業部長は烈火の如く怒られる。

実は後日このことを同席していた管近課長に聞いて初めて、理解できた。
東芝が輸出している額は莫大な金額。これに全て保険をかけているのだから、保険会社に支払う額も相当なもの。
一方、東芝との取引も日本の全ての企業と行っている。そこで、東芝は各企業と公正なビジネスをしなければならない。管近課長のノートには、企業の系列関係が分かるようなまとめられている。当然、各企業の社長の子供や奥さんの情報も入っている。また、葬儀の場合、誰が出席すべきかも書かれている。
全て、公正な立場を求められているからなのだ、と教えてくれた。

結局、後々、この岡本事業部長は取締役になることはなかった。

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