横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

インドネシアの孤島で代理店会議の後は、ラカーが主催したいと申し出た。
ラカーは既にご紹介した通り、エジプトの社長。
私がCTを売れと言って、彼は目覚めた。
直ぐに、CTが売れるスタッフを用意した。
そして、確実に売り始めた。
私がエジプトに行き、パキスタンでCTを売り、そのオープニングセレモニーにブット首相を呼んだと言うと、早速、自分もムバラク大統領を呼んでくるから、その時には、私にも来てくれと子供のようなことを言ったことを覚えている。
その後、エジプトではどうなったか、簡単に書き記すと次のとおり。
ラカーは、スタッフを揃えてエジプトの保健省の入札を片っ端から落札していき、年間6台ペースでCTを受注していった。
また、レントゲン装置では最も高額の循環器システムも年間3台ペースで受注。
また、MRIも同様。
彼はエジプト一国のマーケットで、東芝ヨーロッパの売り上げの三分の一の売り上げを達成したのだ。

実は面白い情報を私は入手したことがある。
東芝アメリカのセールスマンからもらったものだが、それはGEのメディカル部門の社内文書であった。
それには、こう書かれてあった。
GEがどうしても勝てないマーケットがある。それは、エジプトとパキスタンとシンガポール・マレーシアと南アフリカ。その原因を探れ、と。

正にラカーのテリトリーは誰も勝てない。
ついでに、ラカーのことをもう少し書いて置く。
彼のお爺さんは、スイス人で、友人のレセップスとエジプトに来て、レセップスはスイス運河を切り開いた。一方、ラカーのお爺さんはエジプトの首都カイロに来て、事業を起こしたと言う。
その事業はビール会社や映画館経営など幾つかの事業で成功し、首都カイロに土地を購入し、建築していると昔のローマ帝国時代の遺跡が発掘されたと言う。今の大統領官邸は実は、お爺さんの土地であったと言う。
しかし、1952年エジプト革命が起こり、ナセル大統領のエジプトは社会主義国となり、お爺さんの土地やビール会社、映画館などは国に没収されたと言う。
その時のためにお爺さんはスイス銀行に口座を持ち、財産の保全を図ったと言う。
その経験からお爺さんはアメリカやカナダに土地を沢山持っていると言う。
ナセル大統領は暗殺され、次のサダト大統領の時、お爺さんの資産の一部はラカー家に返還されたが、大統領官邸の土地とビール会社は返してくれなかった。
一度、ラカーの家に招待された時、家具の棚に何気なく置いてあるコインを見つけ、このコインはエジプトのコインかと聞くと、それはローマ時代のコインだと言う。気に入ったら、幾つでも持って行けと言われたが、当然なから断った。
ラカーに話を戻すと、その当時、私がエジプト出張した際に、ラカーの車に乗っていると電話がかかって来る。ラカーの話す様子が変わるので誰と話しているのか直ぐ分かる。
「今の電話はムバラクからで、午後直ぐに会いに行かなければならない。」とラカーは私に話す。どのような関係か分からないが、ムバラクと定期的に会っていたようだ。

代理店会議をエジプトで開いたのは、多分1998年頃だったと思う。彼はビジネスに、また、政治的に活躍していて、彼がエジプト国内を移動するのはプライベート ジェット。

代理店会議の場所はシャルム・エル・シェイク。この都市の名前を聞いて分かる日本人はほとんどいないであろう。
ここは、シナイ半島にあり、紅海に面している。
1979年、アメリカ合衆国のカーター大統領が仲立ちし、イスラエルとエジプトが戦争を終戦し、シナイ半島をエジプトに返還する平和条約締結をした。
今は中東の中でも有名な観光の名所。
この代理店会議には中国からも来ていたから、本当に国際会議になっていた。
我々の泊まったホテルは確かヒルトンホテルで過去アメリカ合衆国の大統領も泊まった部屋があり、ラカーはその部屋も東芝のエライ人❓のために確保していた。
ここでの最大の思い出は、会議最終日の夜のイベントだった。3台のバスをチャーターし、砂漠の中に入って行く。多分2時間近く走ったであろう。
何もない砂漠に岩山が現れる。
そこにバスが停まった。
そこには、ベドウィンが旅して停まった宿のように絨毯が敷いてあって、そこにみんな座れと言う。
みんなが座り終えると、バーベキューの肉やら野菜やらが運ばれて来る。音楽隊や踊り子も何処からか現れる。
ラカーは周到の準備をしていたことがよく分かる。
この夜のことは一生忘れられない。

さて、その後のラカーのことをちょっと書いておく。
2000年、ラカーは40歳でエジプトの国会議員になる。
ムバラク大統領との関係は以前から深かった。
ある時、私に近い将来自分は政治家になると言っていた。
それが現実となり、エジプト国会でも次第に力を持ちはじめた。
国会議員のラカーはムバラク大統領に見込まれ、副大統領候補までに登り詰める。ところが、宿敵は当時の副大統領であった。ラカーの企業が保健省から購入した代金を支払っていないということと、ラカー自身フランスとエジプトの二重国籍を持っているという問題で当時の副大統領がラカーを訴えたのだ。
この問題には、特に違法性はないことは明白だった。
すなわち、保健省への未払いの原因は保健省自身にあった。すなわち、保健省がラカーの企業に未払いがあったことが原因であったこと。もう一つは二重国籍そのものには違法性はなかったが、ラカーの問題がきっかけとなり、二重国籍を持っている者は国会議員になってはならないという法律ができるのだ。
この問題は、しかし、ムバラク大統領にとっても痛手となった。すなわち、そのような疑惑のラカーを副大統領にしようとしていたのだから。
結局、裁判ではラカーは国外追放となる。
彼は、安全の為、4年間、英国やフランスに身を隠していた。
国外追放も4年で終わり、エジプトでのビジネスをスタートさせる。彼は航空会社を買い、イランに初めてジェットを飛ばす。
また、フランスの新聞を買収するなど、活発に活動している。

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