横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

或る日、ポーランド人のゼノ神父が日田市駅前にある日田木材組合に立ち寄られた。

その頃、ゼノ神父は、久留米市小頭町に教会を開いておられた。この教会は狭くて、古いということだった。修理の必要もあるのけど、資金もないので、援助を求めて、木材組合に立ち寄られたらしい。

その時、丁度夫も組合に居合わせたので、

「私の家にお立ち寄りなさい」と言って自宅にゼノ神父を連れてきた。

私の家は仏教だが、信仰の道に変わりはなく、神父を手厚くもてなした。子供達も交え、家族みんなで食卓を囲み、神父の片言の日本語で、会話は弾んだ。神父はその日の我が家の料理を大変喜ばれ、何でも美味しいと言って食べられた。

私は本当の信仰は、人種を問わず、宗派を問わず信じ合い。睦会うことが原点だと思っている。

神父が帰られる時、寄付金を封筒に入れて差し上げた。そう少ない額ではなかった。

そして、木材を車一台修理のため、差し上げることを約束した。

数日後、約束通り、柱類、板類を取りそろえ、久留米教会に届けた。

「これで念願の修理や、増築が出来ます。」

神父は大変喜ばれ、厚くお礼を言われた。

ひと日、子供たちを連れ、神父を訪ねた。その時、一緒に撮った写真は現在はない。大きく引き伸ばしていたが、水害で失った。

困っている人を、ただ見ておれぬ夫の性格は長所であり、また、短所でもあった。『情に掉させば、流される』言葉の通り、時にはそれ程しなくてもと、思うことも度々あった。

いろんな人から、助けられもしたが、私たち夫婦も、沢山の人を助けもした。