横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

人生には幾つもの分かれ目がある。

そこに現れるのが地蔵菩薩。

地蔵菩薩はウキペディアにこう書かれている。地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、釈尊が入滅してから弥勒菩薩が成仏するまでの無仏時代の衆生を救済することを釈迦から委ねられたとされる。また、サンスクリット語では「クシティガルバ」(क्षितिघर्भ [Kṣitigarbha])という。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して「地蔵」としている。即ち、大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされる。

私には、この地蔵菩薩が小学5年生の時に現れた気がする。私はこの年から5年かかって生まれ変わったのだ。

私は父の転勤で故郷の山口県にある厚狭に戻ってきた。比較的都会の下関から田舎の朝に戻ってきた私は何の根拠もなく優越意識を抱いていた。ところが、厚狭小学校にしばらく通う間、私のクラスの横川、有福と江中の三人と知り合って驚いた。彼らは小学校が終わると小学校の前にあった町立の図書館に行くのだ。そして、翌日の授業科目の予習として図書館で調べ物をしていることを知った。私は下関にいた頃、図書館などに行ったことはなかった。

図書館では彼ら三人は楽しそうに話しながら調べていた。転校生の私も彼らに誘われて、仕方なく勉強を始めた。こんな習慣は私にとって初めての経験であった。このことで授業そのものが楽しくなっていった。先生の言っていることは既に図書館で調べて分かっていたからだ。

こんな生活を一年続けたことで、結果的に私は全く変わってしまった。勉強することに何の抵抗感も感じなくなった。それ以上に、知らないことが分かるようになることが楽しいことを経験できたのだ。

多分、私の両親の間ではこんな会話をしていたのではないかと思う。

母親が父親に、「この頃、えっちゃんがおかしいの」と言うと、父親は、「何がおかしいのか?」と返す。母親は、「えっちゃんがこの頃、外で遊ばないの。学校からの帰りも遅いし、顔つきが変わってきた感じ」と言うと、父親は、「そうか、・・・」

私自身が驚くことになったのは、中学校に入って間も無くのこと。入学して2ヶ月後に定期実力テストがあった。その結果、成績上位100人が構内に貼り出されることとなった。当時、我々の学年では、50人のクラスが10クラスあったので全部で500人いた。学年のトップは友達の横川だった。そして、私は27位だった。この成績に私はビックリした。因みに一緒に図書館で勉強していた有福と江中は60位くらいだった。

私の闘いは実はこの瞬間から始まった。この27位は紛れ(まぐれ)で、次回は多分落ちるだろうという恐れを抱いたのだ。だからこそ、私の勉強にはより一層の力が入った。そして、4ヶ月後の実力テストでは18位になっていた。次の4ヶ月後の実力テストでは8位。一年最後の実力テストでは4位まで上がってしまった。

私はクラブ活動では排球部(バレーボール)に入り、夕方6時頃までみっちり練習し、家に帰り食事を取ると夜9時までは家族とテレビを見て、それから3時間勉強して、床に入るのは夜中の12時。そんな毎日が三年間続いた。

私は、小学校5年生から中学校3年まで、地蔵菩薩の中で生まれ変わったのだ思っている。

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