横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

昭和十一年頃、私の工場では、鮮魚箱を主に作っていた。世の中は不景気で、新築の家も少なく、木材の需要は限られていた。

現在のように、木材市場も無かったので、家一戸分の用材を全部揃えるには、日頃から原木を確保しておく必要があった。金のない私たちには、その山買いが難題だった。

昭和十二年の二月に長男が生まれた。結婚して、三年間子供ができなかったので、子宝に恵まれないのではないかと、周囲が気をもんでいた。

生まれたのは男の子だったので、大変祝福され、昌三と命名した。

丁度この子が生まれた日だった。茂田井の山で出材していた我が家の牛が、斜面を踏み外して、足を折ったという知らせが来た。その頃材木屋にとっては、牛も一つの財産だった。しかし、足を折っては、使い物にならなかった。

「牛は可哀想だが、男の子が生まれたのだから、死んだのは牛で良かったよ。」

と夫は言った。