横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

昭和十二年に日支事変が起こった。

昭和六年日本軍が満州に引き起こした侵略戦、つまり満州事変があり、その翌年の昭和七年に五一五事件があり、海軍将校や士官学校の生徒らが、支配階級に不満を抱き襲撃して、政党内閣の幕を閉じた。

昭和十一年に二二六事件が起こり、戦争へと加速された。その翌年の日支事変は、太平洋戦争へと拡大されていった。

夫の友人なども、召集令状が来るようになり、私たちも不安な日々を送った。

「本司君に令状が来た。俺も時間の問題だ。」

ある日夫は外から帰って来るなりそう言った。

本司君というのは、夫と同期の同じ飛行隊の人で、隣村の人だった。

私たちは当時、熊本県の茂田井というところに、松山を買って搬出していた。この松材の搬出中に、牛が死んだのだった。

この山の松材は、赤松で張りが強く、提灯の加輪などに喜ばれ、八女提灯組合と契約して出荷し、良い成績を上げていた。

今、夫に召集が来たら、どうしよう。

あちこちに買っている山の場所も知らず、取引先についての詳しいことも知らなかったので、どうしようかと心配だった。

やっておかなければならないことが多くて、一日一日が追い立てられるような毎日だった。