私が下関に行って2年目の秋、小学三年生の時の話。
友達と路地で遊んでいたら、近所のおじさんがやって来た。そして、こう言った。「君たち、明日の厳島神社のお祭りを知ってるだろう。そのシャギリを引っ張ってくれないか?」、と。
友達のほとんどは即座に、「いいよ、ヤルヤル。なにかくれるんでしょ?」と応えた。
その人は、「あんぱんとジュースくらいは出ると思うよ」、と。
私は、「父ちゃんに聞いてみないと・・・」と結論を避けた。しかし、私の頭は、もう、あんぱんとジュースでいっぱいだった。
早速、家に帰ると、母ちゃんに、お祭りで、シャギリを引っ張ってくれと頼まれた話をした。そして、母ちゃんから了解を勝ち取ろうとしたが、母ちゃん曰く、「父ちゃんに聞いてみなさい」、とつれない一言。
当時の父ちゃんはとても怖かった。それまでも、学校の成績や近所でにいたずらや友達との喧嘩などで、怒られることばかり。もう一つは、小言が長いこと。子供にとっては、とても扱いにくい相手。その人から、了解の二文字を勝ち取ることは至難の業。
でも、やるしかない。
当時の父ちゃんは意外と帰宅時間が早く、夕方7時にはもう家に帰っていた。夕食が終わり、恐る恐る、お祭りの話を持ち出した。
すると、意外や意外。簡単にOKが取れたのだ。父ちゃんはこう言った。
「みんなのお祭りには、お前も協力することはいいことだ」、と。
エーッ、それだけ⁉️
否否、それだけであるはずはなかった。こう続いた。
「いいか、物事は、自分がヤルヤルとシャシャリ出ると、必ず、周りから叩かれる。また、
人が頼んできて、それを断ると、アイツは頼り甲斐がないとののしられる。人に頼まれたら、必ずやってやれ」、と。
実はこの言葉が、その後の私の人生訓になったのだ。
親父の一言が、何と息子の人生を決める一言になろうとは、親父も考えていなかったであろう。私は、あんぱんを食べるたびに、この言葉を思い出すのだ。
あんぱんは実に美味しい。