横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

経済九原則

丁度この頃、福岡銀行の佐藤重役から、自分の持ち山を買って欲しいと言う申し出を受けた。木材は当時多量にもっているので、

「今のところ、山は要りません。重役さん、それに金もありません。」

と、断った。しかし、重役さんは、

「手形で良い。私に金要りが出来たので、手放そうと思い立ったけど、本当は売りたくはなかですたい。取っときなさい。損はせんですばい。」

と言われれば、お世話になっている銀行の重役の申し出ではあるし、渋々五十万円の手形を書いて、土地とも買い取った。

山の調査もせず、図面と登記簿謄本をもらい、ご本人の申し出の金額だった。

この山は早津山の近くに所在し、松杉雑木などが立ちこみ、見た目にはパッとしない山だった。

翌年、この山の松と杉の大きいのを、二回にわたり伐採して売った。そして、土地とも残っている木全部を関氏に売った。

関氏は、八女郡横山村の人で、山の仲買や仲介業もしていて、業界では顔の広い人だった。赤ら顔の太った体躯で、当時五十歳くらいだった。

関さんには、九百万円で売買契約した。最初、四百万円を受け取ったが、残金五百万円が揃わなかったので、関さんが、津江に持っていた山を、五百万円に値踏みして、その山を野村が引き取り、決着をつけた。

その後、日田の育英会の希望により、関さんから買った津江の山を八百五十万円で売却した。自分の家で場際し、売却した松杉が、雑費を引いて、千万円位にはなっており、二年足らずの間に、この五十万円の山から、千七、千八百万円は儲かったことになる。

山の商いは、面白いもので、いやいやながら買い取った山だっただけに、運が良かったと言うべきだろう。

丁度この頃、我が国は、アメリカの占領下にあった。アメリカのドッジ博士が来日して、経済の九原則というものを作り、これを日本国民に、守るように命令した。

占領軍の命令により、物価凍結令が出たので、それから世の中は不景気となった。