横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

私は番頭役を務めていたわけで、私が家にいれば、その間、私の代理をする人が必要だったが、間に合わせに雇ったものに、慣れぬ仕事は任せられなかった。

私は、日田市の木材組合には、時々顔を出していたので、組合からも金を借りようと思っていた。金は、まだまだ、いくらもあっても足りなかったからである。

ある日、私は日田木材組合長の瀬戸さんを訪ねた。

瀬田さんは、小柄な五十代の、温厚な人柄で、人望の厚い方だった。

私達の早津山の状況も、よく知っておられた。

「組合長さん、私の所の山も、大分出始めましたので、素材でも製品でも良いから、契約してくれませんか。」、と申し入れた。

組合では、組合員の材木屋が、今、どこにどんな山を買って、どんな製品を出荷しているかを大体把握していた。

「何でも貰いますよ。ドンドン出荷してください。多いほどいいんですよ。」、と組合長さんは言った。

「実は契約して、手付金が欲しいんですよ。」

私は、組合長の表情を、伺いながら言った。

「奥さん、お宅の山は、まだまだ、ドンドン出荷している段階じゃぁないようですが、品物を出してくだされば、現金で支払いますよ。」

当然のことを瀬戸さんは言った。

「いいえ、もう大分出荷しております。しかし、ドンドン出荷するようになったら、もう、貴方に相談は致しませんよ。金は今、欲しいんです。だから、、何とか、ご相談できませんか。」

この時、私は本当に、金が欲しかった。必要に迫られていた。私は再度申し入れ、口説き落とした。

組合長は、出納係の諌山さんと相談しておられたが、

「奥さん、間違いないでしょうね。期日までには間違いなく出荷して下さいよ。手付金は出しましょう。総じて、前金は、どこでも出しておりません。奥さんは特別ですよ。いやぁ、負けたなぁ。」、と言って笑われた。

何百石かの出荷の契約をして、手付金として、三十万円を出して下さった。

これは大金である。

よくも組合長が、この大金を女の私に、前渡してくれたものだと、組合長の度量の大きさを思い、絶対にこの行為を裏切ることがあってはならぬと感謝した。

私は早速、山に登り、一部始終を夫に報告した。夫も聞いてビックリしていた。

「よくも、三十万円も、手付金を出してくれたものだ。」、と言った。手付金をもらった以上は、絶対に約束は守らなければと、夫も言った。

その後、出荷の方は、なかなか捗(はかど)らず、一台送ったかと思えば、後は何日も送らぬという状態だった。別の材木屋との契約もあり、そちらの方にも送らねばならなかった。道路も相変わらず悪く、運搬は捗らなかった。

雨季には、毎日が雨で、殊に深山の雨は、激しく降るというものではなく、叩き付けるように、バケツの水をこぼすように降った。川は増水して、道路も川のようになり、山の仕事は計画通り進まないのが普通だった。

やがて、木材組合からも、催促が来るようになった。私も組合に顔向けができないようになっていた。だからと言って、用件は組合には次々来るので、顔出しせねばならず、私の顔を見ると、組合長の瀬戸さんは、

「奥さんは女だから、間違いないと思ったのに、全然、品物が出来ないじゃあないですか。困りますね。」

出納係の諌山さんも、口を揃えて言った。

「本当に申し訳ありません。私も責任上、山では喧(やかま)しく言っておりますが、、何用、雨が多くてどうしようもありません。今、しばらくお待ちください。」、と謝る外なった。

大体、契約している以上、期日にできない理由を並べても、理由にならない訳だが、この会話を何度も繰り返しながら、最後には、木材組合に大量に出荷し、組合の木材置場は野村の木材で埋まった。