横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

母親だけの卒業式

母親だけの卒業式

私は1968年、運よく岡山大学に入学した。親父は、合格が決まって間も無く、岡山に行った。下宿探しのためである。そして、4月に入り、私は岡山に向かって出発した。 岡山に着いて、親父が契約した下宿を尋ねると、岡山大学の裏の半田山(標高200メー …

初めてのプレゼント

初めてのプレゼント

皆さんは、初めてもらったプレゼントを覚えているでしょうか?私ははっきり覚えているのです。そのことが、はたして人の人生にどれだけの影響を与えたのだろうかと考えることがある。その影響を数値に表す事はできないが、人の行き方を大きく変えた事は事実で …

福は内!

福は内!

皆さんは、自分の記憶で一番古い記憶はなんですか?私は振り返るのには4歳か5歳の頃のもの。 昭和28年だったと思う。山口県に台風がやって来た時のこと。この台風は雨台風で、山口県内の各所で床上浸水の被害が起きた。盆地の厚狭も同様で、厚狭川が決壊 …

ビフテキの食べ方

ビフテキの食べ方

下関にいた頃、少しずつ我が家の生活も文化的になり始めた。テレビは家にあるし、冷蔵庫も氷を入れる方式だがあった。 そんな折、お袋が長門市場で鯨の肉の塊を買って来た。 その日は親父の帰りも日頃より早かった。子供であったため、私にはその日が何お祝 …

夜の棟上げ

夜の棟上げ

我が家の家建ては、山から杉の木を切り出すことから始まった。つい一年前のことである。それは小人の行進で書いた。 切り出した木は依頼していた大工さんに引き渡して、一旦終了。次にやったことは、家の基礎づくり。土地の測量から始まり、基礎打ちは業者に …

秘めたる夢

秘めたる夢

お袋の昔話を聞きたくて、何度か質問をしたことがある。 どうも、出身は昔の厚狭郡山陽町の埴生に福田というところがあり、ここの大地主の楠家に生まれたようだ。そして、ここで育ち中学校までは通ったと言う。 しかし、それからはあまり、話そうとしないの …

頑固者同士の親子

頑固者同士の親子

私は大学に入るまでは、あまり、親父と話すことはなかった。理由は、私は8人兄姉の8番目ゆえ。家にいても口数の多い方ではなかった。 私が中学生になった頃は、兄姉は全て大人になっていて、大人の話題にはついて行けなかったことが大きな原因かもしれない …

三男文夫君の生き様、その8

三男文夫君の生き様、その8

親父、お袋がいなくなれば、兄弟姉妹の関係も少しずつ薄れてくる。まして、距離が離れていればなおさらのこと。 文夫君が、律子さんと別れたということも聞いた。どうも、広島にいることはいるらしいことも。 2014年のことだったろうか、突然、啓一兄か …

三男文夫の生き様、その7

三男文夫の生き様、その7

文夫君は、大阪にはしばらくいたようだが、そのうち音信が途絶える。 そして、何年後かに広島にいるという連絡が入ってきた。どうも、広島にステーキの店を開いたという話である。 そして、どうも、同棲している女性がいると言う。私は既に東芝に入って、川 …

三男文夫の生き様、その6

三男文夫の生き様、その6

名古屋のヤクザ問題では、ついぞ、本人の文夫君は姿を見せなかった。それから、しばらくは音信不通の状態。 私は幸い岡山大学に入学した。そして、二年目の五月の連休あたりであったろうか?田舎の親父から、手紙が来て、文夫の居所が分かったので、一度暇を …