横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

一人息子を失った夫は、次第に寡黙となり、機械いじりに熱中した。時には夜中まで、金物や電線など、部屋に広げていた。

ボイラーに勤めている時も、給料の半分は、金物代に消えていた。毎月月末には、金物店から請求書が届いた。

夫の作る物は、手仕事の小さな物でなく、大掛かりな物が多かった。

例えば、屋上まで、大きな金物でも、材木でも、スイッチ一つで引き上げられるリモコン装置などを作ったりした。また一階の物置を改造もした。専門家に頼まず、自分でやるので、いつも人夫を二,三人は雇っていた。そんな支払いも、小さな金ではなかった。

医師からは、足になるべく負担を掛けぬことと、いつも注意されていたが、あまり守らなかった。

或る日、応接間にいた夫は、「水を早く」と大きな声で呼んだ。私はその時、台所にいたので、びっくりして振り向くと、ストーブから、火の手が高く上がっていた。驚いた私は、

「早く逃げて、お父さん、焼け死ぬよ」

と叫んだが、夫は茫然と突っ立っているので、足が動けぬと思い、手を引っ張ったら、倒れたので、そのままズルズルと玄関まで廊下を引っ張ってきた。

そして、隣家の上野さんに、大声で助けを求め、消防署に電話した。

上野さんが、すぐ飛んで来て下さり、私と二人で布団や毛布を次々かぶせ、水をかけて火は消し止めた。消防署から来て下さった時は消火していた。

原因は、夫が石油ストーブを扱っていて、こぼれた石油に引火したのだった。
石油の黒煙が二階まで広がり、壁は真っ黒となった。焼けたのは応接間とその備品、
布団類だった。後で考えると、夫を引っ張り、運んだ自分の力に驚いている。