観音様は観世音菩薩のことで、
「世間の人が救済の声を発するその音声を観じて、衆生を救済される菩薩」である。
しかし、ちょっとおかしい。
音を聞くものなのに、なぜ、「聞音菩薩」や「聴音菩薩」 と言わないのか?
音が伝搬するスピードがあまりにも遅いからである。
音が空気中を伝搬するスピードは]1秒間に340~350メートル。
これでは溺れかけた人を助けることなどできない。
観音様は溺れかけている人の口元を見ておられるのだ。
その人が、
「南無観世音菩薩」と救助の声を発した瞬間、その口の動きを見ておられるのだ。
光であれば、1秒間に約30万キロを進む。光速は音速の100万倍。
こんな説明はさも科学的のように聞こえるが、実際はそうではなかろう。
すなわち、観音様の見ているのは光を通じているのではない。
正に時空を超えているのである。
観音様は我々のすぐそばに居られるのだ。
我々の苦しみを直ぐに感じてくれる 。
ただ、我々が観音様を常日頃感じる必要がある。
その関係において、観音様は我々に何かの信号を与えてくれる。
我々をそれを見たり、音で聴くのである。
すなわち、困ったときに観音様は我々に何かを見せてくれるし、何かを聞かせてくれるのだ。