横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

今から30年間、私は優秀な若い先生と出会った。

仮にこの先生を坂崎先生と呼ぶことにする。
この先生はもともと、東北大学の工学部に入学するも、途中で医者の道を歩くことになる。

そして、九州大学の医学部をでて、晴れて医者となった。

もともと向学心の強いこの先生は、大学に残り肝臓・胆のう・すい臓の研究をする。

その道の大家が新潟大にいたので、新潟で研究を進める。
私が坂崎先生に会ったのは、その時である。
私の上司である技師長が、「こんど、ブラジルとアルゼンチンで超音波セミナーをやるから協力しろ」、と言われたのがことの始まり。

それからは、この先生はとんとん拍子で超音波診断で肝臓・胆のう・すい臓の研究発表を行い、日本のトップに上り詰める。
あまりにも全てを医学にかけたため、家庭を顧みず、子供たちや奥さんのことはそっちのけ。
先生は、研究一筋。

先生は教授になり、順調に退官することになっていた。

ところが、悲しくも、そこから、先生の人生は大きく変わってしまう。
まず、父親を亡くし、財産が入ってくる。
自分の土地が売れて、大金が転がり込むといった具合に、なぜか、不思議な時期がやってきたかと思うと、パーキンソン病に罹ってしまった。
パーキンソン病は、筋肉が萎縮して体が思うように動けなくなる病気。
この時、先生は自分の運命を悟ったと言う。

自分はもう、動けなくなる。だから、もう一度、アルゼンチンに行って、あのタンゴを味わいたいと思い、友達とアルゼンチン旅行を計画する。
ところが、日本を出発する間際になって、友達から都合が悪くなったと連絡が入ってきた。
先生は、奥さんに話し、一緒に行こうと誘うが、奥さんからはNOの返事。
そこで、坂崎先生は、知り合いの女性と一緒に行くことにした。その女性は、身体障害者。

ここまでは、別に、何の事件も起こらない。

ところが、帰国して2ヵ月後に事件が発覚した。
自分の預金通帳から、1400万円が引き出されていた。
先生は、まず奥さんに聞いてみた。
もともと、預金通帳の管理は先生が行っていたため、奥さんが引き落とすことなど到底できない。
しかし、その事実を知った途端、奥さんは疑問を抱くようになった。
もしかして、あのお金を、その女の子にやったのではなかろうか?と。
当然、その話は息子にも伝わり、奥さんと息子は、坂崎先生に対する信頼を失っていった。
それどころか、白い眼で見るようになっていった。

一方、先生は、引き落とされた背景を銀行に問いただすが、銀行は、”通常の取り扱いをしただけ”と言って、全く取り合わず。

おかしなことは、他にもある。
大学教授でいた間、私学共済に入っていたため、退職金などの扱いは、その私学共済が行うことになっていた。

 

退職金は福岡銀行の自分の口座に入れてくれと言うのに、全く別の口座にお金は入れられていたと言うのだ。
それは、西日本シティ銀行。
どうも、自分の調査には限界を感じた坂崎先生は、弁護士に依頼をしたと言う。

しかし、その弁護士は、なぜか、この問題を法廷に持ち込んでも、勝てないし、逆に名誉毀損で訴えられるだけだと言われて、全く取り合ってくれなかったと言う。
因みに、坂崎先生は、上体がひどく曲がり、歩くのも大変な有様。言葉もろれつが回らず、聴きづらいほど。
しかし、記憶や判断は普通の人と全く同じ。
先生が、とぼけているとは全く思えない。

先生から、一部始終を聞いた時、「なぜ?この2年でこうも人生は変わってしまうものなのか?」
と思った。

最も悲しいことは、自分の妻と息子に白眼視されていること。
何を言っても信用してもらえないこと。
昨夜は、私ども3人、先生の友達として、一緒に日本橋で食事をした。
先生は、ボソリと、「自分の話を聞いてもらえた。あなた方に感謝する」と言ってくれた。

「先生、一人で悩むな。何かがあったら、必ず、福岡に助けに行くから。」と言って握手した。
日本橋の大通りを、先生をおんぶして、ホテルまで帰った。