今から13年前、『五体不満足』の本を読んだ。
大変衝撃を受けたことを覚えている。
最近、私の所にある知り合いがやって来た。
話を聞くと、2~3年前、息子がいじめに遭い学校に行きたくないと言い、自分には手に負えなくなっている。
高校生で体も大きく、怖い存在でもある。
その息子に会ってもらえないだろうかと相談に来たのだ。
私は話を聞き、会うことは問題はないが、あまり有効な方法ではないと説明した。
息子さんが、真に理解できる言葉は、実際に同じ体験を克服した人の声だと思う、と補足説明をした。
そこで、私だったら、何とかして、乙武洋匡(おとたけ ひろただ、1976年4月6日 – )さんに会わせます。
ところが、その話をした一週間後の横浜市の広報に、乙武洋匡さんの講演会を抽選できけるとあった。
私は、すぐにその話をその奥さんにした。
私の家内は直ぐ、応募した。 その奥さんもしたという。
その結果、二人とも抽選で当選したのだ。一枚のチケットで二人が入れるものだった。
その講演会が昨日、12月3日に横浜西公会堂で催された。
前半は全国中学生の人権尊重に関する作文の優秀賞授与式だった。
その後が、乙武洋匡の講演である。
車いすで舞台に登場した乙武氏には不思議な思いがした。
深々と下げた頭は、15秒くらい上がらない。
話の初は、実に愉快な話。
三歳になる自分の息子が自分のひげそりをしてくれる話。
その後は、ワイシャツを着せてくれる。
乙武氏は、早稲田を卒業した後、7年間はスポーツ記者として活躍。
しかし、彼は、6年前の長崎のデパートの駐車場でで幼い子供が殺された事件で衝撃を受けたという。
殺された子供が可哀想なのは当然だが、乙武氏は殺した中学生も可哀想だと思ったという。
ここが普通の人と違うのだ。
その犯人である中学生の生い立ちは分からないが、必ず、周りの大人に助けを求めて何らかのシグナルを送っていただろう。
しかし、周りの大人には、そのシグナルをつかむことはできなかった。
ここが問題だと、彼は言うのだ。
その後彼は学校教師になるべく、2年間早稲田に通ったという。
それから三年間、小学校で子供達と勉強したという。
彼は、金子みすずの「みんなちがって、みんないい」という言葉が大変好きだという。
今年の3月11日の東北の震災以後、金子みすずの詩が見直されてきた。
私も、この詩が好きだ。
しかし、乙武氏の解釈は少し違っていたことに驚いた。
わたしと小鳥とすずと
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
乙武氏は、みんな欠点を持っているんだ。
それを認めて、たらない所を補い合おうよ、というのだ。
ジグソウパズルを例に挙げる。一つ一つのピースはデコボコだけど、
そのデコボコを補い合って一つの立派な作品が出来るのだ。
欠点ばかりをつく世の中では、決して住みやすくならない。
障害者をそのまま認めてほしい。一人の人間として。
初めは、障害者を白い目で見るのは当たり前かもしれない。
それは見慣れていないから。
でも、その後は、障害者の欠点を認めて、必要な場合は助けてあげて欲しい。
というのだ。
私の所に相談に来られたか親子も、その講演会に来ておられた。
きっと家で、話し合っているだろうと思った。
乙武氏の言葉には確かに説得力があった。
私は、家内といい勉強したと思う。
2011年12月3日(土)