横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

2009 年は一番下の娘の大学受験に始まった。

幸い合格して長野県の松本に下宿することになった。

4 月の入学式前に下宿に荷物を運んでやり、必要な品物を買い揃えて、夕方、さあ帰ろうとすると、ベッドにもぐって顔を上げようとしない。

寂しいのであろう。

今まで、親と一緒にいて何も考えなかったが、いざ一人取り残されて、明日から一人で生きていかなければならないとなると、やはり、不安であろう。

そこで、近くのスーパーで買ってきて、親子三人で食事をすることにした。

しかし、別れの時はやってくる。

娘は、また、布団にもぐり込む。

扉を閉めるとき、

「さあ、帰るからな。また来てやるから、頑張れよ」と言っても布団の中から、声は聞こえてこなかった。

声は涙になって、出てこなかったのであろう。

それからは、何度か訪ねていった。

松本はいいところだったので、土日のドライブには最高だった。我々の気分直しには非常に良かった。

それから 8 ヶ月経って、 12 月 24 日に戻ってきた。

大学一年生の凱旋帰国である。

そして、翌日からは母校の先生に会いに行ったり、友達と会ったりで忙しい毎日のようだった。

年はあっという間に明け、松本に帰る日がやって来た。

1 月 3 日である。

特急あずさに乗るには新宿がいいということと、谷中の墓参りに行って帰ればということになり、われわれ夫婦と姉の 3 人で見送りに行った。

しかし、時間の関係で墓参りは時間的に無理となり、その代わり、新宿の“タカノ・フルーツパーラー”でパフェを食べることにした。

時間はあっという間に去り、新宿のプラットホームに上がった。

あずさは既に来ており、娘は指定席の列車に乗った。

列車の中の娘は鞄の中を探していて顔をこちらに向けない。

いよいよ、出発の音楽が鳴り列車が動き始めた時、笑顔でこちらに手を振ってきた。

ああ、この子は遂に大人になったなとその時感じた。

私はこの別れを“幸せな別れ”と呼ぶことにした。

子供が成長し、独立していく別れは寂しさ半分、うれしさ半分である。