横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

私の子供時代は毛虫

仏教の言葉と世間一般の言葉が正反対になっていることがある。

「無学の人」、といえば、一般的には学問・教養のない人のことである。
ところが、仏教では、これは褒め言葉である。
真理を極め尽くして、もうこれ以上学ぶ必要のなくなった人が「無学の人」なのだ。

また、無分別というのも同じこと。
我々は、「分別を持って、行動しろ」、と教えられてきた。

だが、仏教では、分別するな!と教えている。

この場合、「分別」というのは、文字通り、「分けること」、「別にすること」である。
何も別に、わざわざ分別(区別・差別)する必要のないものを、我々が勝手に分別し、こだわるのが仏教でいう「分別」である。
たとえば、園芸花と雑草の区別である。
いずれも美しい花なのに。
また、蝶と幼虫(毛虫)もそうである。
蝶は美しい。

毛虫は気持ちが悪い。
これも区別(分別)である。

美人と普通の人も分別。

頭がいい子供とそうではない子供。人の才能など区別する必要のないことである。

このように分別は身勝手な判断であることが分かる。
「分別するな!」と坊さんが怒るのは、正しいように思える。