横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

大学入試によく徒然草が使われる。

しかし、こんな一節があったのをご記憶の方が居られようか?
徒然草第39段のはなしである。

「ある人、法然上人に、『念仏の時、睡(ねぶり)におかされて行(ぎょう)を怠り侍(はべ)ること、
いかがしてこの障(さわ)りを止め侍らん』と申しければ、
『目の醒めたらんほど、念仏し給へ』と答へられたりける、いと尊かりけり」 

分かり易く言うと、念仏の最中、どうしても睡魔に襲われる。そんな時どうしたらよいでしょうか?とある人が法然上人に問うた。
すると、法然上人は、「目が覚めた時、念仏すればいい・・・」、と答えられた。 

何も、腿をつねったりして睡魔と格闘する必要はない。
眠くなったら眠り、目が覚めたらまた一生懸命念仏をすればいい、と言うのだ。
何事も自然体でいいではないかと諭している。

法然上人は浄土宗の開祖である。

その上人が次のようにも言われている。

「 念仏をするのに、こうでなくてはいけないといった決まりなんてないのだ。
結婚をした方が念仏を称えやすいのであれば結婚をすればいい。
家に居ても良いし、流浪しても良い。他人の援助を受けても良いし、自分の独力で生きても良い。
大勢の仲間と一緒の方が念仏を称えやすければ大勢でやれば良い。一人の方が良ければ一人でおやりなさい。」

法然上人は 非常におおらかな考えであり、こだわりがない。