横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

昭和十二年に、大分県大野郡小野市村に、六百町の山を買った。

私の従妹がこの村に居住していて、雑貨店を営んでいた。この意図は梯茂三郎というが、椎茸を商う関係で山のことも詳しかった。

安い山が売りに出ているので、見に来ないかと連絡があり、夫が見に行き、割安なのですぐに買い取った。

この山も私が知っておく必要があるということになり、十三年の春、昌三を連れて小野市の山を見に行った。

着いた翌日、梯の叔母さんに昌三を預け、夫と二人で山を見て回った。自分たちの山の中を三里ほど歩いたが、山の中を通り抜けただけで、とても一日で、一周することはできなかった。結局、一日かけて、山の一部を見たという格好だった。

この山は、杉、松のほか、雑木が茂り、どれも古木で苔がつき、軒しのぶが生えて、まるでジャングルの中を歩いているようだった。

そんな山の中に川も流れ、深い谷もいくつかあった。とても広大な山だった。

「境界を回るだけでも、一日じゃあ回れないような、広い山を買ってどうするの」

私はうんざりしていった。

「広いのは結構じゃあないか。もう買ったんだから放っとけばよか。」

「椎茸の原木となる、楢、橡(くぬぎ)が大分あるけん、その大きな分だけ切っても、かなりの金額が取れるじゃろう。」

この小野市村は、椎茸栽培が盛んで、その原木となる楢、橡材は、重宝がられていることも聞いた。