横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

一休

「道心の中に衣食(えじき)あり、衣食の中に道心無し」

これは我が国天台宗の開祖の伝教大師最澄(767 ~822)の言葉である。

最澄の教団は非常に貧しかった。
平安初期の僧たちは基本的には国家公務員であり、エリート中のエリートであった。
身分と生活は保障されていた。
しかし、最澄は、あえてぜいたくな生活を捨てて、真剣に道を求め、道を弘めることを志したのである。
そのため、比叡山から逃げ出す僧が多くいたが、最澄は妥協しなかった。
道を求める心さえれば、衣食の方は何とかなる。
しかし、衣食を求める心を優先させれば、道心は無くなってしまう。
最澄はそのように言っているのだ。

室町時代の一休和尚同時代の僧に一路(いちろ)がいる。
もと御室仁和寺の僧であったが、還俗して一路庵禅海居士と称した。
一路は草庵のわきにモッコをつるしておいた。
往来の人が、この中に米や野菜を入れてくれる。
一路はそれで雑炊を炊いて生きていた。

この一路の話を耳にして、ある日、一休が草庵を訪ねてきた。
一休は一路に問いかけた。
「万法道あり、如何がこれ一路」
それに対して、一路は即座にこう応えた。
「万事休むべし、如何がこれ一休」
この問答を機に二人は肝胆相照らす仲となったという。

その何年か後、村のいたずら小僧が一路のモッコに馬の沓を投げ込んだ 。
一路がモッコを下ろすと、馬の沓が入っている。それを見て、
「わが糧、すでに尽きたり」
と判断し、食を断って死んだという。
我々は衣食の心配ばかりしているが、衣食が尽きれば死ねばいいああないか・・・というのが一路の悟りである。