横浜こぼれ話は筆者の佐藤栄次が随筆や意見や考えを書いておりますので、一度見に来てください、

お袋の昔話を聞きたくて、何度か質問をしたことがある。

どうも、出身は昔の厚狭郡山陽町の埴生に福田というところがあり、ここの大地主の楠家に生まれたようだ。
そして、ここで育ち中学校までは通ったと言う。

山陽小野田市旧埴生小学校福田分校跡

しかし、それからはあまり、話そうとしないのだ。

私の記憶では梶に大きな屋敷があり、そこに行った記憶がうっすらある。
しかし、ここと福田の生家との関係がはっきりしないのだ。

どうも、お袋の実母は、お袋の実の弟である楠 五郎を生んで後、死亡したらしい。
結局、お袋と弟の五郎さんは後妻に育てられるのだ。

後妻は、四人の子供を生み、お袋と五郎さんは同じ家でその四人の異母弟妹と一緒に生活をしたらしい。

山陽小野田市梶漁港

話は変わるが、私が厚狭高に入って間もなく、一人の男がやって来て、
「お前は寝太郎の佐藤じゃろ?と聞いてきた。俺は梶の大谷。お前と従兄弟じゃ。」と言う。
私は、返答に困った。
そんな人間の存在など全く聞かされていなかったから。
家に帰り、お袋に尋ねると、
「それは、大谷で、たしかに従兄弟」と笑っていた。
私は、チャンと話を聞いていなかったので、楠家の話をその時初めて聞いた。

多分、昔のことゆえ、お袋は肩身の狭い子供時代をおくったことと思う。

そして、16歳か17歳で、田舎の古臭い見合いの風習で、親父と結婚したのだ。

その当時の話を親父に聞いたことがある。
ある日、見合いをするというので仲人に連れて行かれると、田んぼで、何人かの女性が田植えをしていた。
その仲人が、「お前の嫁さんになるのは、右から二番目の娘。いいな。」と言われたらしい。

お袋にしてみると、結婚するまで親父の姿すら見たことがなかった、と。

そして、嫁いでみると大変な家。
その上、子供が産まれるし、その日その日を生活することで精一杯だったと言う。

しかし、今となったら、みんな子供達が成長し、一人前になり、チャンとした家庭を築いてくれているので、何も言うことはない。
本当に幸せな気持ちでいる、とお袋は幸せそうに言う。

私はあえて、聞いてみた。
「子供の頃に持っていた夢はなんだったのか?」

すると、しばらく、考えた後に、
「私の夢はねぇ、白い大きな船で、旅行をすること」、と返って来た。

私は予期せぬお袋の夢を聞いて、ガツンとショックを受けた。
なぜ、もっと前に、この話を聞かなかったのか!
実現させてやったのに!

今、このことを書いているだけで、自然と涙が出て来てしまう。