こんな関取が今までにいただろうか?
2009年、モンゴルの大学に入学したものの、日本にやって来て鳥取城北高校に編入。高校三年の時、全国優勝を果たす。そのチームには一年後輩の逸ノ城がいたという。
卒業後、相撲界に入る、モンゴルにいた時には、スポーツはやっていなかったが、白鵬の父親に見出されたというから、いいセンスを持っていたのでしょう。
相撲界では順調に伸びるが、後輩の逸ノ城の方がいい記録を残した。
それでも、照ノ富士は関脇で初優勝。直ぐに大関になり、横綱が手の届くところまで来た。
大記録更新中の白鵬にも堂々とした相撲を取り、白鵬にとって代わるところまで来たのだ。
しかし、そこに落とし穴があった。
相手は稀勢の里。稀勢の里に寄り倒されて膝を痛めてしまう。
ここから彼の人生が狂ってしまう。膝に力が入らないため、相撲にはならない。その結果、序二段まで落ちてしまう。
相撲界では、序の口からスタートして、序二段はその上のクラス。日常の生活では”若い衆”と呼ばれ、関取の身の世話までしなければならない。
あと少しで横綱になれると思ったら、あっという間に、序二段である。
それでも、彼は親方の伊勢ケ浜親方に膝を治して出直せ、とアドバイス受け、泣く泣く、その教えを守る。
それから、徐々に苦難の道を歩み始める。
先場所は、十両で、今場所は前頭17枚目。
前頭17枚目は、幕内でも最も下。
それが、13勝2敗で優勝したのだ。
私は、照ノ富士が優勝した瞬間、私のことのように手を叩いて喜んだ。
人生はかくあるべし。
いいことがなければ。
照ノ富士のお陰で、自分ももう少し頑張ってみよう、と勇気をもらった人が多いのではなかったかと思う。
私も、もうひと頑張りしようと思う。